2012年7月9日月曜日

人間は器+非器で成り立つ








人には器と非器がある。
器と非器があって一個の人間が成り立つ。

内蔵から脳髄、骨格・筋肉・血液・神経・毛髪・皮膚・歯・爪、などに至るまで、
見ることができ触ることができて、空間を占めているもの、
即ち身体(からだ)とようぶものが【器】である。

一方、見ることも触ることもできず、空間をふさいでいないが、存在するものがある。
それを漠然とではあるが【心】と呼んでいるが、これが【非器】である。

この【器】と【非器】を併せて人が形成され、どちらかが欠けても人と認められない。
器の部分を離れて人は存在しない。
そして、非器の部分なしでも人は存在しない。

通常の人間は、器の心臓や胃・腸・肺などは模型や解剖学の図でしか知らない。
それらの臓器は自分の意思ではなく勝手に動く。髪や爪は勝手に伸びていく。

器は器だけで存在できず、非器は非器だけで存在することはできない。
ある時は、器が非器を率い、非器が器を率い、またある時は器と非器が一体となり、
ある時は器と非器が相対したりする。

そして器が非器を、非器が器を超越して様々な状態を生じる。
身体に体格があり、性に性格があるとすれば、
体格と性格との、この交差するところを【気】と言う。

体格は元々仮定である。身体は時々刻々に変化する。
性格もまた本来仮定であり、性格は時々刻々変化をする。
生まれた時から死ぬ時まで変わり続けている。

人が生きていることを【気がある】とし、人間一切の事柄は【気】が仕切っている。
何かの事柄を始めようとすることを「生気」といい、やろうとしないことを「死気」という。
やろうとしてできず、やる気がないのにグズグズしているのを「余気」という。


人というものを X とすれば、身(器)は X から思考・感情・命令などをするものを取り除いたものである。
これを数式にすると、
  X = 人
  Xー(A+B+C・・・・・・) =身(器)
にとどまる。

心はまた、いわゆる人から身を引き去ったものと言うものになる。
これを数式にすると、
  Xー { Xー(A+B+C・・・・・・)}=心(非器)
と、言うに過ぎない。








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