2011年3月31日木曜日

大慈大悲


大悲は大慈に繋がる。
(大きな悲しみは大きな優しさに繋がる)




大慈大悲(だいじ-だいひ) 意味
広大無辺な仏の慈悲のこと。大慈悲。
「大慈」は仏が衆生しゅじょうを救う大きな慈しみ、
「大悲」はその慈悲の心の意。

2011年3月30日水曜日

差し舞える


大阪大学 平成22年度卒業式・学位記授与式 総長式辞
http://www.osaka-u.ac.jp/ja/guide/president/

本日ここに集われた3507 名の学部卒業生のみなさん、2063 名の大学院修了生のみなさん、そして博士の学位を授与された569 名のみなさん。この卒業と修了の式にあたり、これまでみなさんが尽くされた努力と研鑽とを、大阪大学を代表して心から讃えたいと思います。また、この日まで長きにわたってみなさんの勉学と研究を支えてこられたご家族の方々に対しても、ここに深く敬意を表したく存じます。
みなさんには真っ先にはなむけの言葉を贈らねばならないところですが、今日はなんとしてもこのたびの震災のことから始めないではいられません。
途方もない災害が起こってしまいました。
きょう卒業式を迎えられたみなさんのなかには、家族を、あるいは家を失い、不安に押しつぶされそうになっておられる親族、友人、知人がおられ、その人たちのことが片時も頭から離れない方がきっとおられるでしょう。また、ここに集われたみなさんの半数近くは、16 年前のあの阪神淡路大震災を身をもって体験しておられるはずです。学部の人なら小学校に入られたころ、大学院の人なら小学校の高学年くらいだったでしょう。そのときの恐怖やその後の苦難をまだ体の記憶として残したまま、今回の震災の報にふれ、あらためて慄然とされたことでしょう。その一人であるわたしも、深夜に電気を消すのが不安で、寝るときはいまも蛍光灯をつけたままにしています。ですから、このたびの地震から2週間経ったいまも、電源を落とした避難所、あるいは孤立した民家で異様なほどに静かな漆黒の夜を迎えておられる人たち、暗闇のなかで「命がけ」の冷却活動にあたっておられる作業員たち、自身も被災しながら夜を徹して救援活動や医療活動にあたっておられる方々、その人たちの心持ちを察すると、いまわたしたちがこうした照明の下でみなさんの卒業と修了とをともに讃えあえることが申し訳なく思えてきます。
被災地のひとたちと、被災の全貌を知ることができずに遠くから案じるだけのわたしたちのあいだには、どうしようもない隔たりがあります。被災の現場に行って被災者の方々にインタビューする放送記者の人たちと被災者のあいだには、おそらくもっと大きな隔たりがあるかもしれません。それはちょうど、介護施設でスタッフが食事のお世話をしながら「おいしい?」と訊ねることと、ユニットケアの施設でスタッフが入所者の人たちと同じ食べ物をともに口にしながら「おいしいね」と囁きあうこととのあいだの落差のようなものだと思うのです。
別の言い方をするなら、被災地にあっても、被災地から遠く離れていても、いま、「生き残った」という思いに浸されている人はけっして少なくないでしょう。「生き延びた」ではなく「生き残った」というこの感覚にはどこか、被災しなかったこと、あるいはそれがごく少なかったことへの申し訳のなさのようなもの、罪悪感のようなものがつきまといます。こういう隔たりはだれもすぐには埋められません。すぐには超えられません。
そうしたなかで、いま遠くにいるこのわたしたちのなしうることは限られています。物資や義援金を送ること。移送の道を、避難の道を塞がないこと。買いだめせずに、いつもより消費を控えることでできるだけ多くの物資が被災地に回るよう心がけることなどです。復興には相当な時間がかかるでしょうが、被災者の受け容れから現地での支援活動まで、遠くにいるわたしたちにもできることがいずれ見えてきます。その準備にあたることが、いまわたしたちにできる精一杯のことです。
こうした〈隔たり〉について、もう少し考えてみようと思います。
いまわたしは、控えめの生活をすることが、被災に遭わずにすんだ者にできる精一杯のことだと言いましたが、逆に、余所では普段どおりの生活をしているということが復興に向けての「希望」になる、あるいは経済的支援になると考える人もいるはずです。被災地でも同様のことはあるでしょう。上空を旋回する報道のヘリコプターの轟音に、救出を求める人の声が聞こえないと憤る人もいれば、「だれかが見守ってくれている」と感じる人もいるでしょう。人の思いというものはこのように、立っている場所でずいぶん異なります。同じ被災地のなかでも〈隔たり〉はあるのです。
阪神淡路大震災のときに、わたしは当時神戸大学の附属病院に勤務しておられた精神科医の中井久夫先生から一つの言葉を教わりました。copresence という言葉です。中井先生はこの言葉を「いてくれること」と訳し、他人のcopresence が被災の現場でいかに重い意味をもつかを説かれました。被災直後、中井先生は地方の医師たちに救援の要請をなさいました。全国から多くの医師が駆けつけたのですが、中井先生はじめ神戸大学のスタッフが患者さんにかかりっきりで、応援団になかなか交替のチャンスが、回ってこない。そのうちあまりに長い待機時間に小さな不満が上がりはじめたとき、中井先生はその医師たちに集まってもらい、「予備軍がいてくれるからこそ、われわれは余力を残さず、使いきることができる」と語りはじめました。そして、「その場にいてくれる」という、ただそれだけのことが自分たちのチームにとってどれほどポジティヴな意味をもつかを訴えられたのです。じっと見守ってくれている人がいるということが、人をいかに勇気づけるかということは、被災の現場だけでなく、たとえば子どもがはじめて幼稚園に行ったときの情景にも見られることです。子どもがはじめて幼稚園に行ったとき、母親から離れてひとり集団のなかへ入ってゆくときの不安は、だれもが一度は経験したはずです。ちらちら母親のほうをふり返り、自分のほうを見るその顔を何度も確認しながら、恐る恐るやがて仲間となるはずの見知らぬ他者たちの輪のなかへ入ってゆく……。人にはこのように、だれかから見守られているということを意識することによってはじめて、庇護者から離れ、自分の行動をなしうるということがあるのです。そしていま、わたしたちが被災者の方々に対してできることは、この見守りつづけること、心を届けるということです。
さて、みなさんは、大阪大学におけるさまざまな専門の勉学と研究とを今日を一区切りとして終え、これから社会のさまざまな現場に出てゆかれます。そしてそのなかでさらに、何かのプロフェッショナルとしてみずからを鍛え上げてゆかれることでしょう。
けれどもここで心を留めていただきたいのは、プロフェッショナルがその専門性を十分に活かすためには、専門領域の知識だけではどうにもならないということです。なぜなら、一つの専門性は他の専門性とうまく編まれることがないと、現実の世界でみずからの専門性を全うすることができないからです。一つのアイディアを制度として定着させようとするとき、一つの発見を医療の現場で活かそうとするとき、さらには一人の画家の仕事をまとめ展覧会を開こうとするとき、法律や経理、調達や広報といった別のプロフェッショナルたちとしっかり組まなくてはなりません。
別の領域のプロフェッショナルと同じ一つの課題に共同で取り組むことができるためには、自分の専門的知見について、別の専門家(つまりそれについてのまったくの素人)に関心をもってもらえるよう、そして正しく理解してもらえるよう、みずからの専門についてイメージ豊かに説明することがまずは必要です。彼らにその気にならせないといけないからです。そしてさらにそのためには、異なる分野のプロフェッショナルたちのこだわりをよく理解し、また深く刺激するような訴えかけをしなければなりません。別のプロの、自分とは異なった視線、異なった関心をそれとして理解しようとせず、自分の専門領域の、内輪の符丁で相手を抑え込もうとする人は、そもそも専門家として失格なのです。ここでもあの、〈隔たり〉をしっかり見つめるということが大切です。同じことは医療スタッフについても言えます。プロとしての自分たちの思いとはうんと隔たったところでものを感じている患者さんやその家族の思いに、十分な想像力をはたらかせられない医療スタッフは、プロとして失格なのです。
みなさんは学業において優秀な成績をおさめられ、社会に出てもさまざまな場所でこれまた優れたリーダーたることをめざしておられるかもしれません。もちろんそれは間違いではありません。けれども忘れてはならないのは、だれもがリーダーになりたがるような社会はすぐに壊れるということです。一つの事業を成し遂げるには、リーダーとともに、脇役や黒子やコマが要ります、昨今、リーダー論の本が書店には溢れていますが、そしてちょっとひねくれた言い方になるかもしれませんが、そもそもリーダー論に素直に従うような人はリーダーになれないということもあります。リーダーたる人は前例を踏襲せずに、みずから道を開いてゆく人であるはずだからです。
リーダーシップについて論じ、なんとも深い味わいがあるなあと感心した言葉があります。それは、パナソニックの創業者、松下幸之助さんが自社の管理職員の前で話した言葉です。松下幸之助さんは「成功する人が備えていなければならないもの」として、「愛嬌」と「運が強そうなこと」と「後ろ姿」という、意外な三つを挙げました。理由はあえて説明せずに、です。この三つの条件について、わたしはこんなふうに解釈しています。
「愛嬌」のある人にはスキがあります。無鉄砲に突っ走って転んだり、情にほだされていっしょに落ち込んでしまったりする。だからまわりをはらはらさせる。わたしがしっかり見守っていないと、という思いにさせるわけです。
次に、「運が強そうな」ひとのそばにいると、何でもうまくいきそうな気になるものです。その溌剌とした晴れやかな空気に乗せられて、一丁こんなこともやってみるかと冒険的なことにも挑戦できます。
次に、だれかの「後ろ姿」が眼に焼きつくときには、見ているほうの心に静かな波紋が起こります。寡黙な言葉の背後に秘められたある思いに想像力が膨らむのです。あの人は何をやろうとしているのか、何にこだわっているのか、ついそのことを考えてしまいます。
そう、見る人を受け身ではなく、能動的にするのです。無防備なところ、緩んだところ、それに余韻があって、それが他人の関心を引き寄せてしまうからです。
軸がぶれない、統率力がある、聴く耳をもっているなどといった心得も、たしかに大事でしょう。
が、この隙間、この緩み、この翳りこそ、人の関心を誘いだすものなのです。組織とは言うまでもなく人の集団です。そして、一人一人が受け身で指示を待つのではなく、それぞれにそれぞれの能力を全開して動くそのときに、組織はもっとも活力と緊張感に溢れます。上司の命を待つのではなく、一人一人が自分の頭で考え、へこたれずに行動できる組織がいちばん活力があるのです。getting things done by others. そういう意味では、リーダーがいなくていい組織を作れるのが真のリーダーだと言えるかもしれません。
みなさんに卒業後求められるのは、専門家としての技を磨くことであるとともに、「成熟した市民」「賢い市民」になることです。市民社会、その公共的な生活においては、リーダーは固定していません。市民それぞれが社会のそれぞれの持ち場で全力投球しているのですから、だれもいつもリーダー役を引き受けられるとはかぎりません。だとすれば、それぞれが日頃の本務を果たしつつ、public affairs については、あるときは「いま仕事が手を抜けへんので代わりにちょっと頼むわ」、あるときは「本業のこと、ほんとは心配なんやろ、しばらくはおれがやっとくわ」というふうに、それぞれが前面に出たり背後に退いたりしながら、しかしいつも全体に目配りしている……そういうメンバーからなる集団こそ、真に強い集団だということになるでしょう。いいかえると、日々それぞれの持ち場でおのれの務めを果たしながら、公共的な課題が持ち上がれば、だれもがときにリーダーに推され、ときにメンバーの一員、そうワン・オブ・ゼムになって行動する、そういう主役交代のすぐにできる、しなりのある集団です。その意味では、リーダーシップとおなじくらい、優れたフォロワーシップというものが重要になってきます。自分たちが選んだリーダーの指示に従うが、みずからもつねに全体を見やりながら、リーダーが見逃していること、見落としていることがないかというふうにリーダーをケアしつつ付き従ってゆく、そういうフォロワーシップです。
良きフォロワー、リーダーを真にケアできる人物であるためには、フォロワー自身のまなざしが確かな「価値の遠近法」を備えていなければなりません。「価値の遠近法」とは、どんな状況にあっても、次の四つ、つまり絶対なくしてはならないもの、見失ってはならぬものと、あってもいいけどなくてもいいものと、端的になくていいものと、絶対にあってはならないものとを見分けられる眼力のことです。映画監督の河瀬直美さんの言葉を借りていいかえると、「忘れていいことと、忘れたらあかんことと、それから忘れなあかんこと」とをきちんと仕分けることのできる判断力のことです。こういう力を人はこれまで「教養」と呼んできました。
昨年亡くなられた文化人類学者の梅棹忠夫さんは、亡くなられる直前のインタビューにおいて、いつも全体を気遣いながら、自分にできるところで責任を担う、そういう教養のあるフォロワーシップについて語っておられました。そしてその話をこんな言葉で結ばれました。― .「請われれば一差し舞える人物になれ」。
もしリーダーに推されたとき、いつでも「一差し舞える」よう、日頃からきちんと用意をしておけ、というのです。わたしはみなさんに、将来、周囲の人たちから、「あいつにまかせておけば大丈夫」とか「こんなときあの人がいたらなあ」と言ってもらえる人になっていただきたいと心から願っています。そう、真に教養のあるプロになっていただきたいのです。そのために大学に求むるものがあれば、いつでも大学に戻ってきてください。大阪大学はそうした学びの場をいつでも開いておきます。
最後になりましたが、みなさんお一人お一人がこれからの長い生涯、幸運に恵まれ、悔いのない人生を送られることを祈りつつ、わたくしからの式辞とさせていただきます。鷲田清一

2011年3月29日火曜日

達人


仕えてその道を能くす。
これを達という。


つかえてそのみちをよくす。
これをたつという。
(一つの道に仕えて、その道を極めた人を達人という)

まず人生は、先師先人から学ぶ姿勢から始まる。

2011年3月28日月曜日

詫びの作法


悪いことをした、すまない、強く反省していても、
思っているだけじゃダメだ。
どんなに心で思っていたとしても、人は・・・・・・
たとえ親子や兄弟、夫婦でもわかりはしない。

自分の思いすべてをの言葉と形にして、相手に伝える。
それが「詫びの作法」。

そして、謝るのは
一刻でも、一分、いちびょうでも、早いのが一番。


「あんどーなつ」西ゆうじ

2011年3月25日金曜日

希望


幸福は継続を求めるが、希望とは変化を求めるものだ。


ニューヨーク・タイムズ「The Opinion Page」に寄稿された村上龍氏の思い。

I SET out from my home in the port city of Yokohama early in the afternoon last Friday, and shortly before 3 p.m. I checked into my hotel in the Shinjuku neighborhood of Tokyo. I usually spend three or four days a week there to write, gather material and take care of other business.

The earthquake hit just as I entered my room. Thinking I might end up trapped beneath rubble, I grabbed a container of water, a carton of cookies and a bottle of brandy and dived beneath the sturdily built writing desk. Now that I think about it, I don’t suppose there would have been time to savor a last taste of brandy if the 30-story hotel had fallen down around me. But taking even this much of a countermeasure kept sheer panic at bay.

Before long an emergency announcement came over the P.A. system: “This hotel is constructed to be absolutely earthquake-proof. There is no danger of the building collapsing. Please do not attempt to leave the hotel.” This was repeated several times. At first I wondered if it was true. Wasn’t the management merely trying to keep people calm?

And it was then that, without really thinking about it, I adopted my fundamental stance toward this disaster: For the present, at least, I would trust the words of people and organizations with better information and more knowledge of the situation than I. I decided to believe the building wouldn’t fall. And it didn’t.

The Japanese are often said to abide faithfully by the rules of the “group” and to be adept at forming cooperative systems in the face of great adversity. That would be hard to deny today. Valiant rescue and relief efforts continue nonstop, and no looting has been reported.

Away from the eyes of the group, however, we also have a tendency to behave egoistically ? almost as if in rebellion. And we are experiencing that too: Necessities like rice and water and bread have disappeared from supermarkets and convenience stores. Gas stations are out of fuel. There is panic buying and hoarding. Loyalty to the group is being tested.

At present, though, our greatest concern is the crisis at the nuclear reactors in Fukushima. There is a mass of confused and conflicting information. Some say the situation is worse than Three Mile Island, but not as bad as Chernobyl; others say that winds carrying radioactive iodine are headed for Tokyo, and that everyone should remain indoors and eat lots of kelp, which contains plenty of safe iodine, which helps prevent the absorbtion of the radioactive element. An American friend advised me to flee to western Japan.

Some people are leaving Tokyo, but most remain. “I have to work,” some say. “I have my friends here, and my pets.” Others reason, “Even if it becomes a Chernobyl-class catastrophe, Fukushima is 170 miles from Tokyo.”

My parents are in western Japan, in Kyushu, but I don’t plan to flee there. I want to remain here, side by side with my family and friends and all the victims of the disaster. I want to somehow lend them courage, just as they are lending courage to me.

And, for now, I want to continue the stance I took in my hotel room: I will trust the words of better-informed people and organizations, especially scientists, doctors and engineers whom I read online. Their opinions and judgments do not receive wide news coverage. But the information is objective and accurate, and I trust it more than anything else I hear.

Ten years ago I wrote a novel in which a middle-school student, delivering a speech before Parliament, says: “This country has everything. You can find whatever you want here. The only thing you can’t find is hope.”

One might say the opposite today: evacuation centers are facing serious shortages of food, water and medicine; there are shortages of goods and power in the Tokyo area as well. Our way of life is threatened, and the government and utility companies have not responded adequately.

But for all we’ve lost, hope is in fact one thing we Japanese have regained. The great earthquake and tsunami have robbed us of many lives and resources. But we who were so intoxicated with our own prosperity have once again planted the seed of hope. So I choose to believe.



Ryu Murakami is the author of “Popular Hits of the Showa Era.” This article was translated by Ralph F. McCarthy from the Japanese.
http://www.nytimes.com/2011/03/17/opinion/17Murakami.html?_r=1

危機的状況の中の希望
村上龍

先週の金曜、港町・横浜にある我が家を出て、午後3時前、いつも行く新宿のホテルにチェックインした。普段から私はここに週3~4日滞在し執筆活動やその他の仕事をしている。

部屋に入ってすぐに地震が起きた。瓦礫の下敷きになると判断し、とっさに水とクッキー、ブランデーのボトルをつかんで頑丈な机の下にもぐりこんだ。今にして思えば、高層30階建てのビルの下敷きになったらブランデーを楽しむどころではないのだが。だが、この行動によってパニックに陥らずにすんだ。

すぐに館内放送で地震警報が流れた。「このホテルは最強度の耐震構造で建設されており、建物が損傷することはありません。ホテルを出ないでください」という放送が、何度かにわたって流された。最初は私も多少懐疑的だった。ホテル側がゲストを安心させようとしているだけではないのかと。

だが、このとき私は直感的に、この地震に対する根本的なスタンスを決めた。少なくとも今この時点では、私よりも状況に通じている人々や機関からの情報を信頼すべきだ。だからこの建物も崩壊しないと信じる、と。そして、建物は崩壊しなかった。

日本人は元来“集団”のルールを信頼し、逆境においては、速やかに協力体制を組織することに優れているといわれてきた。それがいま証明されている。勇猛果敢な復興および救助活動は休みなく続けられ、略奪も起きていない。

しかし集団の目の届かないところでは、我々は自己中心になる。まるで体制に反逆するかのように。そしてそれは実際に起こっている。米やパン、水といった必需品がスーパーの棚から消えた。ガソリンスタンドは枯渇状態だ。品薄状態へのパニックが一時的な買いだめを引き起こしている。集団への忠誠心は試練のときを迎えている。

現時点での最大の不安は福島の原発だ。情報は混乱し、相違している。スリーマイル島の事故より悪い状態だがチェルノブイリよりはましだという説もあれば、放射線ヨードを含んだ風が東京に飛んできているので屋内退避してヨウ素を含む海藻を食べれば放射能の吸収度が抑えられるという説もある。そして、アメリカの友人は西へ逃げろと忠告してきた。

東京を離れる人も多いが、残る人も多い。彼らは「仕事があるから」という。「友達もいるし、ペットもいる」、他にも「チェルノブイリのような壊滅的な状態になっても、福島は東京から170マイルも離れているから大丈夫だ」という人もいる。

私の両親は東京より西にある九州にいるが、私はそこに避難するつもりはない。家族や友人、被災した人々とここに残りたい。残って、彼らを勇気づけたい。彼らが私に勇気をくれているように。

今この時点で、私は新宿のホテルの一室で決心したスタンスを守るつもりでいる。私よりも専門知識の高いソースからの発表、特にインターネットで読んだ科学者や医者、技術者の情報を信じる。彼らの意見や分析はニュースではあまり取り上げられないが、情報は冷静かつ客観的で、正確であり、なによりも信じるに値する。

私が10年前に書いた小説には、中学生が国会でスピーチする場面がある。「この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。だが、希望だけがない」と。

今は逆のことが起きている。避難所では食料、水、薬品不足が深刻化している。東京も物や電力が不足している。生活そのものが脅かされており、政府や電力会社は対応が遅れている。

だが、全てを失った日本が得たものは、希望だ。大地震と津波は、私たちの仲間と資源を根こそぎ奪っていった。だが、富に心を奪われていた我々のなかに希望の種を植え付けた。だから私は信じていく。
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2011年3月24日木曜日

君子を目指せ、小人になるな


君子になる六つの条件
1、徳性を高める
2、私利私欲を捨て、道義を重んじる
3、常に人を愛し、人を敬るす心を持つ
4、信を貫き、行動を重んじる
5、世のため人のために大きな志を抱く
6、世の毀誉褒貶を意に介さず、不断の努力を続ける。


毀誉褒貶(きよほうへん);「毀・貶」はそしる、「誉・褒」はほめる意
悪口をいうこととほめること。世間の評判。

2011年3月22日火曜日

鎮魂歌 


沖つ波 来寄する荒磯(ありそ)を 敷袴(しきたへ)の
枕とまきて 寝(な)せる君かも


万葉集 巻2-222 柿本人麻呂
(2-220)の反歌


柿本人麻呂が讃岐の国を船で移動中、狭岑(さみね)の島(香川県坂出市沙弥島)で、津波とも思える大波に遭遇し、櫓も折れんと必死のパッチで陸に漕ぎ帰った。
然しながら磯には遭難者が打ち上げられていた。
この短歌は、そんな大波で遭難した亡き人への鎮魂歌である。

(また、恋しい妻を想う心配性の男の気持ちを詠ってます)

明けない夜はない



新しい時代は、いつも新しい理性を要求する。



慶長伏見地震  (慶長元年1596年7月12月)
伏見城倒壊

真田太平記 第5巻 P.175

2011年3月11日金曜日

自利利他



「自利とは利他をいう」(最澄伝教大師伝)


自分のことは、さておき人のためになにかをしなさい、ではなく、
自分で自活している人は、他者も生かすことができる。
本当の自利の精神があって、利他の心が機能する。

人は、自分がおぼれながら、おぼれた人を助けることは、できない。
ゆったりした中道の心で自分を活かし、相手を生かす。





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2011年3月10日木曜日

Good Times Bad Times


In the days of my youth, I was told what it means to be a man,
Now I've reached that age, I've tried to do all those things the best I can.
No matter how I try, I find my way into the same old jam.

Good Times, Bad Times, you know I had my share;

Led Zeppelin



まだ若かった頃
大人の男とはどうあるべきか語り合ったものだ
そして今その年になった
出来る限り俺は全てのことを試してみた
そしてどんなに頑張ってみても
なかなか思い通りにはならないことも知った

いいときもあれば、悪いときもある
わかってるよ
どちらも思い知らされてきた事なんだ




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2011年3月9日水曜日

かっこ悪い


格好悪いと言われたって気にしない。
格好悪いって人の評価でしょ。
人の評価って曖昧だし、その人だって完璧じゃない。

また僕も完璧な人間じゃないから、他人を評価しない。
他人を評価する権利などない。

それに僕は自分で充実した人生を送りたいと思っている。
他人に格好よく見られたいと思って生きているんじゃない。






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2011年3月8日火曜日

タイムマネジメント


時間がない、
だけどどうやったら勉強できるか?
毎日一時間は無理でも、15分なら確保できる。

では、その15分で何ができるだろうか?






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2011年3月6日日曜日

事業とは


事業をする時は、
何をやったら儲かるかでは発想するなよ。
世の中が何を求めているか、
世の中にどう役に立つのか、という発想で考えろ。


石橋信夫 ;大和ハウス工業創業者




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2011年3月4日金曜日

商品とお客様の関係マトリッ クス


【新しい発想で売上を作る】
商品とお客様の関係マトリッ クス

1.新しい商品を新しいお客様に販売する…「新事業」や「起業」
2.新しい商品を従来のお客様に販売する…「関連販売」
3.従来の商品を新しいお客様に販売する…「新規開拓」
        a.従来の売り方で売る
        b.新しい売り方で売る    
4.従来の商品を従来のお客様に販売する…「追加販売」「深耕」
        c.従来の売り方で売る
        d.新しい売り方で売る 




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2011年3月3日木曜日

笑い


笑いは、副作用のない鎮静剤。

Laughter is a tranquilizer with no side effects.





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2011年3月2日水曜日

基準


考える機会を与えられることで、関心が生まれる。
関心を持てば、好きか嫌いかどちらかが分かります。

   つまり、基準が生まれる。

その基準が仮設となり、色んなことが見えてくるのです。


小宮一慶




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2011年3月1日火曜日