2012年6月11日月曜日

幸福







幸田露伴の「努力論」から、
「惜福」「分福」「植福」を学んだ。

運気は自分で溜め込むしかない。

「惜福」とは、
 ”福を取り尽くしてしまわぬが惜福であり、また使い尽くしてしまわぬが惜福である。”
幸運に巡り会ったときに、それを全部使い果たさず、その一部を返すような気持ちでいることだと思えば間違いない。

「分福」とは、
 ”福を惜しむということの重んずべきと同様に、福を分つということもまた甚だ重んずべきことである。”
 ”分福とは何様(どう)いうことであるかというに、自己の得るところの福を他人に分ち与うるをいうのである。”
言葉の文字通り、巡ってきた運を周りに分け与えることを分福と言います。

「植福」とは、
 ”有福、惜福、分福、いずれも皆好い事であるが、それらに優って卓越している好い事は植福ということである。”
 ”植福とは何であるかというに、我が力や情や智を以て、人世に吉慶幸福となるべき物質や情報や知識を寄与する事をいうのである。即ち人世の慶福を増進長育するところの行為を植福というのである。”
自分に有る幸福を大切にし、少しでも人に分つことができる人は、相当に幸福でしょう。
さらに幸福なものは、自分の幸福だけではなく、多くの人に福を増やし広げていく行為である。

このように幸田露伴は、自分の持っている小さな幸福を大切にし、周りを大切にし、時間を大切にする。
自分の幸福を人に分かち合い、大切な人を幸せにし、さらに多くの人の幸福に貢献できるのであれば、それはすべて自分に返ってくると。
より多くの幸せな人を創ったひとが、一番幸せになるのだと説いている。


幸田露伴:努力論








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