2012年9月3日月曜日

森本一さんとの出会い






株式会社アンファンの森本さんに再会しました。
「夢」をコンセプトに子供から大人まで楽しめるお菓子作りを目指す詩人。

昨年にお会いして、大きな夢と希望を与えてもらった。
もっと早く森本さんに出会えれば、と思いましたが、

もっと早く出会っていれば、
もっと早く気づいていれば、
もっと早く行動していれば・・・・

それって、出会った今だから感じていること。

だったら、気づいた今を大切にするべきだ、とこの一年間を大切にしてきました。
有難いことに、大きく変わることができました。

再会した今回も、森本さんから大きな夢をいただきました。
もっともっとお客様に夢と喜びを感じてもらうために、岩城真珠は工夫が必要です。
喜びに歓びを加えて、毎日を慶びの日にするためにも・・・・

今回の出会いを大切に夢に向かいます。





株式会社アンファン
東京ディズニーランドのクッキーを手がける事で有名なお菓子メーカー。
「アンデイウォーホル」「ペネロペ」「アナスイ」「ドナ・ウィルソン」「アニエス・ベー」等、世界の一流ブランドとのコラボを多数展開する。
銀座松屋、銀座三越、新宿伊勢丹、大阪大丸、神戸大丸などにブランドショップ。











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2012年8月31日金曜日

個性を磨くとは何を磨く。







石にも、木にも、花にも。そして人にも会社にも個性がある。
この個性とは何だ?

個性を磨けとは、そもそも何を磨けばよいのだろうか?
個性を伸ばすとは、個性とは伸びるものなのか?
個を大切にする。その個とは何なのか?



間違ったものを磨いていないか考えてみる。







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2012年8月30日木曜日

悩みの法則 8対2







人生の悩み、不安の8割は、まだ来ていない未来への怯えから来るものです。

 試験に合格できなかったら、
 目標に達しなかったら、
 会社が倒産したら、
 給料が貰えなかったら、
 事故に遭ったらどうしよう

これに他人の目を意識した動作が加わると解決策が見えなくなってくる。
 あの人はどう思っているのだろうか、嫌われたらどうしょう。
 失敗したら恥ずかしい。
これらは、家族や友人、先生、上司など他人の目を意識しているから生じる事柄です。

人として、自分の未熟さを認めることはとても大切なことです。
しかし、そこに他人の視点を入れると、未熟さは不安になり、不安は恐怖にまで達します。

正しい宗教の利点は、他者にむいていた視点を、自分に置き換え、考える時間を与えてくれることです。
実は不安のほとんどは、他人の視点を元にした、人間関係から生まれています。
今まで社会や他者、家族などの外にむいていた視点を、自分に向けることが救いの道の第一歩だと考えます。

これまでは2割しか向けていなかった自分への視点やアテンションを8割にする。
その代わり8割向けていた他人や社会に対しての視点やアテンションを2割まで落とす。
意識して「全ての問題が自分の中の問題」として受け止め考えてみる。
そうすれば他人の評価に振り回されない、自分の考えによる行動が出来るようになります。






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2012年8月29日水曜日

二項対立







二つの概念が対立や矛盾の関係にあることを「二項対立」といいます。
生と死、明と暗、精神と肉体、主観と客観。
脱原発と推進も二項対立です。

二項対立は、物事を単純化して捉えるには便利なやり方です。
また、天動説と地動説のようにスケールの大きな対立は、どちらが正しいかという問題を超越して、
それぞれの陣営からものすごく大きな知的エネルギーが投入されて、歴史に残る成果が生まれる。

しかし現代の二項対立は、理系と文系、草食系と肉食系、勝ち組と負け組、与党と野党など、単なる言葉遊びのような安直な分類に思える。
天動説・地動説のような新しい価値観や知識は何一つ生まれれこない。

物事を単純に二分して論じるやり方は、一見分かりやすそうですが、そこには小さな誤魔化しや嘘が必ず潜んでいます。
例えば、勝ち組と負け組を決める基準は一体何なのだろうか?
一流企業といわれる一流とは誰がどんな基準で決めているのか?

大企業に入っても自分の仕事にやりがいを見いだせずに悩んでいる人がいる一方で、
中小企業の中で誇りをもって生き生きと仕事をしている仲間がいる。
年収が少なくても楽しく暮らしている私たちがいるが、何億も所得があっても不満を抱いている人がいる。
結局、自分の幸福は他人との比較ではなく、自分自身の判断で決まるものなのだ。

誰かが決めた「勝ち負け」に一喜一憂するのは馬鹿らしい。






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2012年8月28日火曜日

物理的なもの、科学的なもの。







人と人との出会いにも、物理的なもの、化学的なものがあると思う。

学校に入学して同じクラスになった、人から紹介され顔見知りになり、なんとなお付き合いが始まる物理的な出会い。
これに対して、化学的な出会いとはぶつかり合ったり(反発)、共振したり(共鳴)したりする。
相性があう、心情がある、尊敬ができる、最初に出会った時からピンと来た。
このような出会いはお互いの質を変化させる要素を持つ。
それはちょうど、異質なものの結合から新しい特性を形成する化学反応のようなもの。

書物を通しての学びは平面的で、師を通しての学びは立体的との言葉があるが、
出会いも平面的な出会いと、立体的な出会いのみがあるのだと考える。



 かがくてき【化学的】( 形動 )
化学に関連していること。物質の組成・性質・変化に関連していることを表す語。






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2012年8月27日月曜日

理系と文系







日本人は、
「数学や理科ができる人が理系」
「国語や社会ができる人が文系」
という分け方を以前からしてきた。

さらに、「理系の人は文系の人より頭がいい」
「理系は理屈ぽくって頭が固い、文系は感性が豊かで考え方が柔軟」などはよく聞くセリフである。

しかし、そもそもの「学問」である「哲学」は、
医学、数学、天文学、音楽、宗教学・・・・・様々な学問が全て含まれている。
これは、ピタゴラス(Pythagoras:紀元前582年 - 紀元前496年)を調べればすぐに解ることである。

サイエンスとは自然現象を分析し、人間の役に立たせるためのものとの考え方であれば、あらゆる全てのものがサイエンスの対象となる。

サイエンスを昔の人間と同じように、新たな生き方の知恵だと考えれば、すべての事柄が自分の生き方へのヒントを与えてくれる学問であると考えられる。
都合の良い「分類」に惑わされず、目の前の真理を探求していくのがサイエンスの本質であると考えます。

理系、文系という分け方で物事を見るのは、もうやめたほうが良いのかもしれません。




science:【不可算名詞】 (体系化された知識としての)科学; (特に)自然科学; 理科.
ピタゴラス(Pythagoras)


 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%82%BF%E3%82%B4%E3%83%A9%E3%82%B9







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2012年8月24日金曜日

貧しくても心が満たされる状態







人間歳を重ねると、現在の自分と過去の自分を対比して眺めてみることがある。
昔は良かったと言い切るつもりはないが、「貧しくても心が満たされていた」時が確実にあった。
その心が満たされていた時を、大人になった自分からみてどのような状態だったかを振り返ってみる。

若いときは総じてお金がないものだ。
生活は大変だけど充実感があった。
新しい経験の連続で、いつもワクワクしていた。
辛いこともあるにはあったと思うが、それを上回る感動や人との出会いがあったので、楽しいことしか覚えていないのだと思う。

実のところ、生きていく上での最大の喜びは、自分自身の成長実感に他ならないと考える。
これは、社会的な成功やお金持ちといった次元を超えたものだと思う。
だからこそ幾つになっても自分の未熟さを理解し、成熟に向かって成長するところに大きな喜びを感じることができるのであろう。

人間として自分を深め、出会うべき多くの人々から思考や感性を学び、自分自身の成長に転換していく、
それが人として幸せを実感できる瞬間、大きな喜びを得る方法なのだと思う。






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2012年8月23日木曜日

なれる最高の自分になる







「金銭」や「モノ」による価値基準は,、相対的なものである。
人と比較するから、もっとお金持ちに、もっと良い車を、となって、自分の財布の中身やモノにちょっと悲しくなる。

なぜ、自然体で生きて行くことが必要なのか。
それは、自分自身で絶対的な幸せの基準を確立できるからである。

たくさんの資産を持つと幸せになれるかもしれないが、そのたくさんの資産が幾らあったら幸せなのか。
1億の資産を持つ人と、100億の資産を持つ人は幸せの度合いが違うのだろうか。
沢山あったほうがよいと思うかもしれないが、相対的なものには「きりがない」。
すなわち、他人が決めた基準で価値観を図ることになる。

これに対して、幸せの基準を自分で創造できる人こそ、自分で幸せをコントロール出来る人です。
これは幸せの基準を下げることではない。
むしろ、幸せの基準を上げて「なれる最高の自分になる」ように努力する人に与えられる。





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2012年8月22日水曜日

外面(そとづら)のコントロール







内面穏やかに、自分の感情をコントロールできたとしても社会には相手がいる。
学校や会社があり、家に帰ると家族という組織がある。
その組織の中に自然体の自分を置くことは容易ではない。
家で、学校で、職場で、それぞれの場所で演じなければならない自分の立場がある。

「演じる」とは、演じなければならないと無理をしている自分そのものだ。
だからこそ意識的に、こころ穏やかに自然体であることを心がける。
それには時間が懸かる。
組織には組織の力が渦巻く。その力に飲み込まれない強さも求められる。
自分が自分であるためには、忍耐強く自分を磨き上がる強さが必要だ。

自然体になることは容易なことではないかもしれないが、
時間をかけてでも、追い求めていく値打ちのあるものだと信じる。





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2012年8月21日火曜日

内面のコントロール








自分をコントロールする。
内面をコントロールするといっても、その内面って一体何?

内面のコントロールとは、
「感情」
「思考」
「言葉」
「行動」
の4つのコントロールです。

この中でも、とりわけ難しいのが「感情のコントロール」
日々の生活の中で、わけもなくイライラしたり、落ち込んだりと自分の思いとは裏腹に勝手に暴走する感情。

実は分かっているようで、一番分からないのが自分自身。
気まぐれ屋で、考え抜いて決めた事柄も、すぐに諦めだらしない方向に進む。
やってはいけない、と思っているのに、全く違った行動をしてしまう自分。
自分自身に歯がゆい思いをしたことは、誰でも経験する事柄。

これをコントロールできると、自我の確立が出来る。
逆に言えば、内面をコントロール出来なければ、他人や社会を正しく見ることができない。



 【感情】 かんじょう ―じやう
:外界の刺激に応じ、一時的に変化する内心の状態。気持ち。理性や論理と異なり、本能的又は反射的に生ずる。

英語では「mood」「feeling」、もしくは「emotion」「emotional feeling」などに訳される。







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2012年8月20日月曜日

自然体







体の内面と外面が一致している状態を「自然体」といいます。
自然体の同義語としては、

自然流 ・ 人間らしい ・ 構えない ・ 無理をしない ・ 気取らない ・ 飾らない ・ ゆったり ・ 肩の力を抜いて~ ・ 肩肘を張らない
 ・ のびのびと ・ 淡々と ・ しなやかな(生き方) ・ しゃかりきにならない ・ とんがってない ・ やわらかい ・ スローな(生き方)
なんとなく理解できる。

それならば、「自然体」の対義語は「不自然体」なのかと言えば、そんな言葉はないらしい。
たぶん、無理をしている、若しくは壊れた・病んでいる状態を指すのだろう。

この自然体であるために最も必要なものとして、「自己の確立」をあげる人は多い。
「自分が自分であるために何をしなければいけないか」の問いかけは、分かったようで分かりにくい。
人間らしい状態であるために、私たちは常日頃、何をしなければいけないのだろうか?

穏やかに日々を過ごせることに感謝しつつ、もう少し具体的に書き進めていきたいと思う。





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2012年8月10日金曜日

理不尽








理不尽とは自分のものさしで物事を見るから理不尽に思える。
相手の立場になれば合理性がある。

人々が求める合理性はそれぞれの立場で様々な方法で存在する。
何が合理かは人の数だけあり、そして日々変化していく。

ビジネスの世界では、理不尽なことを冷めた目で見ているだけでは何も解決しない。
相手を批判したところで、人の合理は変わるものではない。
私たちにできることは、相手の立場に立って考えみること。


理不尽なことが生じたら、そこでとめたり、そのままにしないこと。
その事柄は、相手にとって何が合理的な判断なのかを考えてみる。
相手の合理性を理解し、まずは接点を見つけることから始めてみる。
受け手の考え方一つで、人間関係のトラブルは防げる。

人間関係においてトラブルというものは、理不尽を単に真に受けて、そこで思考が止まってしまうことから生じる。



【理不尽】 り‐ふじん  : [名・形動]道理をつくさないこと。道理に合わないこと。また、そのさま。「―な要求」「―な扱い」








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2012年8月9日木曜日

個人技と団体技の世界








「個人プレー」と書き出すと、独りよがり、他人を寄せ付けず集団の中で孤立をする、
利己主義的・自分勝手な人と取られやすい。

しかし、個人プレーの「個」の確立は、自分をしっかり持つという意味ですので利己主義とは違う。
ましてや独りよがりなどとはまったく違う。

「個」の確立とは孤立することではない。

ロンドンオリンピックで活躍している日本の団体競技の中で勝ち進むチームは、個の確立が出来ているところが多い。
女子サッカー、なでしこジャパンの全員が個性的で同じような顔の人がいない。
一方の柔道は個人競技だが、ほとんど全員が同じようなコメントを発し、全体(チーム)としての色も顔も見えてこない。

チームというものは、選手はもちろん、コーチ、監督など、人と人とが織り成す関係によって成立している。
それぞれのチームの中にいる「個」を起点にして、チーム全体の潜在能力が育まれている。
こう考えれば、個人主義と集団主義が対立するものではないと理解できる。

どんな優秀な人間でも、たった一人で成し遂げれることには限度があるが、チームワークによって、ひとりひとりの持つ総和は何倍にもなる。
それはスポーツでもビジネスでも同じだと考える。









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2012年8月8日水曜日

小さな成功体験が成長を阻害する。

人間は幾つになっても自らを変革し、日々日々に成長していくことができると信じます。

しかしこれを阻害するものが、自らの成功体験であることも事実です。
成功体験が成長の邪魔をする。

成功体験が大きければ大きいほど、それはなかなか脱ぎ捨てれないし、
一旦背負ってしまうと、重石になり早く走れなくなる。
結果的に次の時流に乗り遅れてしまうことになる。

自分が汗を流し、時間をかけて築いてきた成功体験や既得権は簡単に消し去ることはできない。
それは極めて当たり前で合理的なことです。
しかし、そのまま放置すれば新しい時代には勝ち残れない。

本当の成功を考えるのであれば、成功したときに、より危機感を抱き、緊張感を高めること。
超一流と言われる人々は厳しい条件をクリアしたときに、より高い目標を設定し挑んできた人々です。

小さな成功に安住し、うぬぼれていては成長はそこで止まってしまう。
成功そのものは喜んでいいが、成功体験の奴隷などになる必要はない。






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2012年8月7日火曜日

リスク








リスク (risk) の定義にはさまざまあるが、
一般的には、「ある行動に伴って(あるいは行動しないことによって)、危険に遭う可能性や損をする可能性を意味する概念」 と理解されている。

この、「リスクを負う」とはどういうことか。
長引く不況と就職難の影響か、最近の日本では「リスクを冒したくない」人が、学生、社会人ともども多くなったと言われている。

「安定志向のどこが悪い。リスクを避けてきたから、不幸にならずにすんだのだ」はまさしく正論だが、
すごっく幸せとは言えないが、不幸でない状態は幸せなのだろうか?

「リスクを冒すと本当に不幸になるのだろうか?」
リスクって便利な言葉に振り回されている事の方が多いような気がします。
「不幸でない:not unhappy」状態は、「幸せ:happy」と全く違うと考えます。







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2012年8月6日月曜日

集中力







集中力は二つの状態から生まれる。

ひとつは、追い込み型の集中力。
締切など追い込の際に発揮する集中力。

もうひとつは、完全自由状態でも発揮する集中力。
完全に開放状態で発揮する集中力。

前者は外部要因によって作られるものであって、集中力は高まるが、過程は楽しめない。
後者の集中力は、結果だけではなく家庭も楽しめる。

こうした集中力は、雑念の統制をすることによって得ることができる。
目を閉じ、心を鎮め、穏やかな状態を確保する訓練をする。
外部要因で得る集中力も力となるが、自分で集中力が高めれるようになると仕事が楽しくなる。




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2012年8月3日金曜日

異端児たれ








異端児という言葉には、
世間一般に、都合のよくない存在という雰囲気をもっている。

しかし、実際に業界を・産業を、世界を変えてきたのは異端児であることを誰もが知っている。
新しい分野を築いた人は、誰もが最初は異端児だった。
最初は異端視されていたものが、社会から評価されてくると、異端児は異端児でなくなってくる。
異端児は時代を先導し、人々がついてくるようになる。

ここでさらに重要な事実が、、
異端児は社会に対する説得のプロセスと証明のプロセスを経て、社会のリーダーに変化していく。
【説得のプロセス】と【証明のプロセス】のために、信念を貫く力が必要なのだ。

人生を楽しむためには、人と違うことにこだわる。
そして、異端児のままでいるのではなく、社会に受け入れられる努力をすること。

異端児は周囲からの先入観を超え、偏見を超え、
異端児として立ち上がることによって、次世代のリーダーとなり社会に貢献できる。


【異端児】いたん‐じ
ある分野で、正統から外れ、特異な存在とみられている人。
正統派に属さず、独自の活動を独自に行う人のこと。
世間一般に言われている「常識」にとらわれることなく自由奔放に行動する人。








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2012年8月2日木曜日

一人だけの時空間を大切にする。






自分力を身に付け、高めよう。

言葉にすると、何かとても難しそうなことを成し遂げなければと思ってしまう。
然しながら、何も特別なことをするのではなく、日々の行動の中から少しだけ意識的に動けばよい。

例えば携帯電話の電源を切る、若しくは一日持たない日を作る。
電車の中では当たり前の風景で、道を歩いているときでさえメールを打っている人を見かける。
携帯電話に振り回され、他のことを考えれなくなっている「機械の奴隷」に見える。
ITは便利だが、情報に振り回されて良いはずはない。

それよりも一人きりになる大切さを認識して欲しい。
鏡に映った自分は、正直に今の自分を映し出している。
「今日も元気そうだね」
「今日のわたしって、キレイ!」
「昨日は取引先に上手く話ができなかった。今日こそは頑張るぞ」と、
色んなことを思いながら、自分自身と会話をしている。

一人きりで自分と向き合う時空間には、友達と話したりメールしたりしている時とはまったく違う、独特の感覚があるはずです。
学校、会社で自分の興味はどんなところに向いているのか、あるいは、どんなことに自信をなくしているのか、
人とのコミュニケーションが鬱陶しくなっているのか。
そういうことをじっくり考えられるのも、自分と向き合っているときです。
そういう時空間を、どうぞ大切にしてください。








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2012年7月31日火曜日

23年目に向けて






1989年8月1日に岩城真珠を創業しました。

2012年7月31日
金なし・縁なし・才能なしで22年間走り続けてきました。


皆様の御陰です。
有難う御座います。


本当に・本当に・本当に有難う御座います。


岩城真珠 店主;岩城達夫





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2012年7月30日月曜日

新しい分野への思考法






無意識に受け入れると極めて便利なものに【分類】がある。
分類は人々の思考構造を固定化させる力を持つ。

性別、国籍、職業、喫煙、ベジタリアン、アニメオタク・・・・
こうした分類でくくられた瞬間に、人間の頭は構造化されてしまう。
その瞬間に、設定された分類を超えた新しい思考をすることが難しくなる。

だから注意しなければならないことは、
「社会にある分類は、自分の意思で超えられる」ということ。

分類の胡散臭さに気がつき、分類に基づいてできている境界を疑ってみる。
これらは何らかの意図で誰かによって人工的に作られている。
社会が作った分類を受け入れることは、心地よく楽なことであるが、
そこにある分類を壊し、自分で再定義することが当たり前の思考を超える方法であり、新しい価値を生み出す方法である。







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2012年7月27日金曜日

楽天:成功コンセプト




常に改善、常に前進 

Professionalismの徹底

仮説→実行→検証→仕組化

顧客満足の最大化

スピード!!スピード!!スピード!!





「たがが英語!」三木谷浩史

水、そして血液も同じだが、流れていて役に立つ。
澱んでいては腐る。
組織の中の人を水に例えて、この成功コンセプトがあるのだろうか?
楽天は静かに流れる水流ではなく激流を目指しているのかもしれない。
激流ならば岩をも砕く力を持つだろう。







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2012年7月26日木曜日

心の時代ではなく、心を鍛える時代。




法相宗大本山
興福寺貫首 多川 俊映 氏は、情報の時代について・・・・・

現代の人は、自分にとって都合の良い情報を入れようと目の色を変えて躍起になり、しかも、心がしっとりと潤うなどを願っているが、そんな都合の良い一石二鳥は、ない。
ないものは、探しても見つからない。
それより、情報という喧騒からきっぱり決別する時間をどう担保するか。
その気概を持たずして、なにが『心の時代』か。と、前々号のお寺の機関紙「興福」で述べていた。

未だ腹の虫がおさまらないのか、最近届いた「興福」156号で多川貫首は以下のように再説している。


それにしても皆、自分の都合に合う情報を求めて必死である。
それに端末の携帯化が拍車をかけて、もはや歩いていても情報の接取に余念がない。
その上さらに、自らも発信するから、忙しいったらない―
これに費やされるエネルギーを算出すれば、おそらく相当なものになるに違いない。
それだけのエネルギーを、何か一つのことに一心不乱に注いだら、どんなテーマでもちょっとした成果が得られると思うけど、そういうことはせず、”情報の浅瀬”をあてもなくさまよっているわけだ。
そうした状況では心は、それはくたびれるであろう。そんなこともあって、「心の時代」というのかもしれない。
しかし、本当に心の潤いを求め、心豊かでありたいのであれば、情報というものを果敢に遮断するしかない。
しかし、―イヤ、そんなことをすれば、たちまちバスに乗り遅れてしまうではないか、というのでは「心の時代」は永遠に来ない。
じっさい、情報の時代はともかく、心のほうは掛け声倒れである。

なにかといえば心、心というのが昨今の流儀だが、「安心安全」と同じで、言ったからといって、豊かな心がうまく手に入るわけでもない。
言霊とはいうけれど、もういい加減に、そんな都合のよい言霊はないとしるべきだ。
「心の時代」とか、「心豊かに」などというコトバは響きが柔らかいから、つい甘美な気分になるが、心の豊かさを求めるというのは、じっさいは一種の闘争である。
そこでまず、そうしたコトバがかもし出す甘い気分なぞ捨ててかかるのが、豊かな言葉を求める事始めであろう。
それというのも、いうところの豊かな心の世界とは、好都合ばかりではないからだ。その時々の好都合だけに関心を持つのではなく、不都合なものをも大きく受け止める―。
実に、そこにこそ、豊かな心の世界が展開するのではないか。

好都合はウエルカム。不都合は排除。というのは、なるほど気分は上々かもしれない。しかし、世の中、好都合なものが身の回りにごろごろあるわけでもないから、そうした日常は、自ら世界を狭くしていくだろう。そんな狭小の世界がどうして心豊かなものか。
一見不都合なもの、あるいは、異質なものも毛嫌いせず、よくよく目を凝らせば、いままでとはまた異なったイメージが得られるのではないか。その作業を言い換えれば、わが心を鍛えるということなのだが、まさにそのことが潤いある日常、豊かな日常そのものにつながっているのだ。

法相宗(ほっそうしゅう)とは。
多川 俊映(夛川、たがわ しゅんえい )



世間に媚びない大人はカッコイイもんだ。








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2012年7月25日水曜日

商業







「商業」の名前の起こりは、紀元前16世紀の事、中国に「商」という国があり、
その国の人は売買がとても上手だったため、特別に商業と呼ばれるようになったと伝えられている。
実際に、紀元前16世紀~11世紀に掛けて存在したのが中国古代王朝「商」、別名「殷」。

商は紀元前11世紀に周王朝によって滅ぼされため、住民は離散し、様々な品物を売り歩いて生活を支えた。
周囲からは「商の国の人=商人」と呼ばれ、やがて「商」は「あきない」を表わす語になった、というのが通説。
つまり商の国が「経世済民」の術にたけ、没落はしたが商いを通して、豊かに政治を行ったことが商業の起こりだと考えられている。

このように、元々は「商」の字には「あきない」の意味はない。
「商」の解字は<章+冏>であり、
”章”は音符だが、「明るく目立つ」の意も持つ。
下の”冏”は「高台」を表わし、合わせて、「どこからも目立つ建物」が原義。
商の字は「高台の上にある家に住む人であり、転じて「高貴な人達。王家。」を示した字だといわれている。

本来の意味からは離れてしまった「商業」と言う言葉だが、
プライドを持って正しく商いをしなさいと示唆してると思いたい。







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2012年7月24日火曜日

経済







「経済」の語源は、中国の東晋時代の古典『抱朴子(ほうぼくし)』(著者:葛洪)にある“経世済民(けいせいさいみん)”の記述にあると言われます。
福沢諭吉はpolitical economyを日本語に訳する際に、中国古典の経世済民から経済を引用したと言われている。

経世済民とは、『世を治め(経め)、民を救う(済う)』という国家統治の枢要を説いた慣用句です。
モノやお金のやり取りを通じて民衆の生活を安定させるという意味が含まれ、
古代中国では『理想的な政治』を意味するものとして使われた言葉です。

「経済」という言葉は耳慣れた言葉ですが、その実態は多岐にわたり漠然としてしまいますが、
私たちの身近なところにあり、生きて行くうえに空気と同じように、なくてはならないものといえます。

時として経済はメディアなどで悪者になる場合もありますが、その本質は無くてはならないもの。
毛嫌いせずに、心から敬意をもって付き合うべきものだと思います。

福沢諭吉が和訳する際に引用した「経世済民」(世を治め、民を救う)が経済の本質だと捉え、
正しく経済を推進することが、将来の日本の子供たちのためになると、わたしは信じます。





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2012年7月23日月曜日

不思議







不思議とは、思案をしても議論をしてもダメという意味。
考えることも、話し合うこともダメ。それが不思議。
先の事を考えようが、過去を振り返ろうが、自分たちが生きているのは今。

今、今しかない。
今をしっかり生きるしかない。
済んだことはどうにもならない。

だから昔の苦労話をするんじゃない。
ある程度、歳を取ると苦労話の一つや二つしたいのは判る。
しかし酒の席で苦労話をする奴って、本当の苦労が足らないんだと思う。

本当の苦労は口に出すのも嫌なもんです。
ほんとうに思い出したくないのが苦労だと思う。
だから言わない。黙っている。

不思議なことがあって、今の自分がある。
苦労なんてなかったんです。
不思議なことがあっただけです。

本当に不思議だね。









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2012年7月20日金曜日

なみだ








生理学的にいえば、
涙があるから眼球がうるおいモノを見ることが出来る。

人生もまた涙することにより、己の進むべき方向を定め、
その長い旅路を歩んでいくことが出来るのだろう。








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2012年7月19日木曜日

磯の鮑の片思い
















「伊勢の海の 海人の島津が鰒玉(あはびたま) 取りて後もか  恋のしげけむ」
万葉集 第七巻1322

岩城の名刺には上に書いた万葉集の言葉が少し形を変えて書かれている。
志摩の鮑(アワビ)は、古くは奈良の平城宮跡から出土した納税記録の木簡にも書き示され、
志摩からは鮑や海藻類が税として納入されました。

鮑は美味で稀少でしたからもっぱら貴族だけが食し、またその貝殻の美しさと、その体内から出来る真珠の神秘さが貴族たちの憧憬の対象となり、数々の歌が詠まれています。

東大寺三月堂の本尊、国宝の不空羂索(ふくうけんさく)観音は華麗な宝冠をつけていることで有名な仏さまですが、この宝冠に鰒玉があしらわれています。直径15mmの茄子型真珠。
天平時代の仏さまですから鰒玉は1200年以上の歴史を刻んでいることになります。
ちなみに宝冠には真珠のほか水晶、琥珀(こはく)、瑪瑙(めのう)、ヒスイなど、驚くなかれ26,000~27,000もの宝石がちりばめられています。

今日、7月19日は郷里で790年余の伝統を誇る奇祭。【潮かけ祭り】
海の女神・市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)が大島の祠に里帰りするのを祝い、
海女や漁師がアワビ等のその日の獲物をお供えし、
海の安全と大漁を祈願する神事の後、船どうし人どうし海水をかけ合ったり、
海に投げ入れたりする天下ご免の祭です。

帰りたかったが、帰れない・・・・
今からリッツカールトンにて経営学のセミナーです。
この身は磯の鮑の片思いのように、身悶えております。


【参照】
不空羂索観音像と宝冠は東大寺総合文化センターに期間限定で展示中。
http://culturecenter.todaiji.or.jp/

原文: 伊勢海之 白水郎之嶋津我 鰒玉 取而後毛可 戀之将繁






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2012年7月18日水曜日

今日は笑おう!








感動は人を変える。
笑いは人を潤う。
夢は人を豊かにする。

そして、感動し、笑い、夢を抱くことができるのは、人間だけである。









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2012年7月17日火曜日

閃きと煌めき








どんないいアイデアが思い浮かんでも、
「ひらめき」ではなく「きらめき」だと思う。

自分でひらめいたと思って、それが上手く行ったら天狗になる。
また上手くいかない時は、次ぎのひらめきに期待して、すぐに諦めていまう。

自分の力で「閃いた!」と思わないで、
自分を守ってくれる誰かが気づいてくれるよう、「煌めき」輝いていてくれた思うようにしている。

そう思うことで、感謝の種を蒔き、
成功することで生じる傲慢さの芽を摘んでくれる。



ひらめき【閃き】
 一瞬するどく光ること。
すばらしい考えなどが瞬間的に思い浮かぶこと。直感的な鋭さ。

きらめき【煌めき】
きらめくこと。きらきら光ること。「星の―」「知性の―」







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2012年7月13日金曜日

個性






山葵(わさび)は清冽な水を好む。
茄子(ナス)は硫黄を好む。

山葵の峻烈な辛さは清水から生まれる。
茄子の美味は少しの硫黄を加えることによって増す。

しかし、茄子に清冽な水を与え、山葵に硫黄を与えていないだろうか。
自分たちの勝手な思い込みが、子供や周りの環境、ひいては社会の個性までも狂わせている例は多い。






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2012年7月12日木曜日

習慣







気が散っちゃ何も出来ない。
でも癖なのか、体に染みついた悪癖はなかなか直せない。
   散る気 (ちるき)
   偏る気 (かたよるき)
   緩む気 (ゆるむき)
   逸る気 (はやるき)
   萎む気 (すくむき)


なすべきをなし、
   なすべからざるをなさず。
思うべきを思い、
   思うべからざるを思わず。


今日は、食事をしながら本を読むのはやめよう。
目の前の料理を全身で味わおう。
ブタさんに、牛さんに、魚さんに、野菜さんに・・・
そしてお米を作ってくださった農家に感謝しながら・・・
集中して食事を楽しもう。

小さなことにも【全気全念】で挑む習慣が必要。







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2012年7月11日水曜日

自利利他







人間はただ単に生まれて、そして死んでいくことを肯定していない。
意識的にも無意識的にも、ほかの全ての動物たちを超越し、前代文明を超越し、
かつまた自己をも超越していくことを欲している。

人間が他の動物たちと違うところは、
動物たちが自然の意思に従って太古のままの姿で生きてきたのに対して、
人間は淫欲・食欲、その他の欲望をコントロールして獣たちと同じ部分を超越してきた結果だ。

これこそ人間が血を持って描いてきた数千年の歴史である。
キリストはこのために死に、
釈迦はこのために苦しみ、
孔子はこのために痩せ、
老子はこのために饒舌をあえてしたのだといえる。

そんな私たちの一生が、私たちの後に続く人々の一生を幸福にもするし、不幸にもする。
今日一日「自利利他」の心をもって精一杯生き抜こう。



自利利他(じりりた):仏語。
自らの悟りのために修行し努力することと、他の人の救済のために尽くすこと。
この二つを共に完全に行うことを大乗の理想とする。








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2012年7月10日火曜日

動く光と静かな光






光には動く光と、静かな光がある。

動く光とは、風が吹く野辺の焚き火のようなもの。
静かな光とは、密室の中の灯火のようなものだとする。

光は同じ力であるとしよう。
然し乍ら、動く光と静かな光とでは、その力は同じでも働きは同じではない。

室内の灯火は柔らかく静かだが、細かい字の本を読ませてくれる。
しかし、風の中の火の光では、かなり大きな文字でも読みづらい。

シラス漁に使うカーバイドの光は強いが、それで本を読むのは辛い。
室内電灯の光は弱いが、読書にはとても役に立つ。
こんな具合に光にはその働き具合にお起きな差異がある。

心が同じ力だと仮設しよう。
然し乍ら、強く動く心と、静かに安定した心の動きとでは、その働き具合は大きな違いがあるはずだ。
ちょうど、同じ力の光でも、動いている光と静かな光とでは、その働きに大きな違いがあるのと同じだ。

動き乱れた心は、風の中の焚き火のようなもので、いくら明るそうに見えても、モノを照らす働きにおいては具合が良くない。
心が静かに定まっていない状態とは、気が散っている状態である。
物事を読み解こうと考えるならば、心は静まった状態が望ましい。





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2012年7月9日月曜日

人間は器+非器で成り立つ








人には器と非器がある。
器と非器があって一個の人間が成り立つ。

内蔵から脳髄、骨格・筋肉・血液・神経・毛髪・皮膚・歯・爪、などに至るまで、
見ることができ触ることができて、空間を占めているもの、
即ち身体(からだ)とようぶものが【器】である。

一方、見ることも触ることもできず、空間をふさいでいないが、存在するものがある。
それを漠然とではあるが【心】と呼んでいるが、これが【非器】である。

この【器】と【非器】を併せて人が形成され、どちらかが欠けても人と認められない。
器の部分を離れて人は存在しない。
そして、非器の部分なしでも人は存在しない。

通常の人間は、器の心臓や胃・腸・肺などは模型や解剖学の図でしか知らない。
それらの臓器は自分の意思ではなく勝手に動く。髪や爪は勝手に伸びていく。

器は器だけで存在できず、非器は非器だけで存在することはできない。
ある時は、器が非器を率い、非器が器を率い、またある時は器と非器が一体となり、
ある時は器と非器が相対したりする。

そして器が非器を、非器が器を超越して様々な状態を生じる。
身体に体格があり、性に性格があるとすれば、
体格と性格との、この交差するところを【気】と言う。

体格は元々仮定である。身体は時々刻々に変化する。
性格もまた本来仮定であり、性格は時々刻々変化をする。
生まれた時から死ぬ時まで変わり続けている。

人が生きていることを【気がある】とし、人間一切の事柄は【気】が仕切っている。
何かの事柄を始めようとすることを「生気」といい、やろうとしないことを「死気」という。
やろうとしてできず、やる気がないのにグズグズしているのを「余気」という。


人というものを X とすれば、身(器)は X から思考・感情・命令などをするものを取り除いたものである。
これを数式にすると、
  X = 人
  Xー(A+B+C・・・・・・) =身(器)
にとどまる。

心はまた、いわゆる人から身を引き去ったものと言うものになる。
これを数式にすると、
  Xー { Xー(A+B+C・・・・・・)}=心(非器)
と、言うに過ぎない。








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2012年7月6日金曜日

人気







すべての物には、物の気がある。
花には花の気があり、竹には竹の気がある。
海潮の気を潮気といい、山岳の気を山気という。

古くから日本では【気】を「におい」で表現した。
今では、匂いや香りの嗅覚だけに使われているが、
本来は色の艶、声の響き、人の容姿などに広く使われていた。

また、香道においては「嗅ぐ」という表現は不粋とされる。
香を「聞く」と表現するのが正式であり、「気(づ)く」と考えても差し支えはないだろう。

ひとの【気】を考えた場合、戦いの前に闘志溌剌とした気を感じることができる。
人の気、すなわち人気とは、その人から立ちのぼって外にあらわれるものである。
他にも色気などがあり、目には見えないが感じ取れるものである。

他にも殺気・死気・病気・噴気・争気など人の気を用いた言葉は多い。






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2012年7月5日木曜日







新粒子を発見したと、欧州合同原子核研究機関(CERN)が2012年6月4日発表した。
万物に質量(重さ)を与えると考えられてきた「ヒッグス粒子」は、
素粒子物理学の基礎となる「標準理論」の中で唯一見つかっていなかった素粒子だ。

天地には【気】はひとつしか存在しないと「荘子」は説いている。
そもそも気は、物から発するものなのだが、極めて微妙で捉えにくい。
その物の気というものは、すなわちその物の本体と同一のものであり、本体の目に見えない、
いわば微粒子のようなものである。

気と物が離れたら、物はすでに物でなく、物と気が離れれば、気はすでに気ではない。
気はすなわち物から生じてくるもので、物はすなわち気の基づくところの気である。
言い方を変えてみると、静かなる状態を【物】とすれば、動く状態を【気】といえる。
あるいはまた、根本を【物】とするならば、末端を【気】ということができる。

具体的に例えれば、水を物とするならば、水上のモヤは水の気であり、
火を物とすれば、熱い熱が気である。
水があれば当然湿気が生じる。
火があれば乾燥して熱くなる。

湿気や熱や乾燥は目には見えないし、とらえどころもないけれど、気は本体である物と同一不可分なものだ。
水がなくなれば湿気も存在しないし、火が消えれば熱も乾燥もなくなってしまう。









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2012年7月4日水曜日

四季







一年は短い。
しかし、春には春の力があるように、四季それぞれの力が人間を支配している。
人間と四季の関係は、昔から感覚の鋭敏な詩人・歌人たちが、
その作品の中に四季それぞれの大いなる力を詠んでいる。

宝石・鉱物界には「生理」があるのかないのか不明だが、【物理】がある。
植物界には「心理」があるのかないのか不明だが、【生理】と【物理】がある。

ガーネットは生長するとか、トパーズは少しずつ老いて色を失っていく事実があっても、
それは物理現象であって、生理の分野ではないようだ。

フライトラップ(蠅捕草)は自分の意思で昆虫を獲るとか、含羞草は感情的に動くとかいわれる。
また、ある植物は少しずつ位置を変えて、あたかも歩いているように見えるというが、
これらは物理・生理の領域であって、心理の世界ではないようである。

人間と動物のレベルに至って、初めて物理・生理・心理がともに働く、と言うことができるのではないだろうか。

もちろん四季の力は、鉱物界に対しても影響を及ぼしている。
鉱物体の隙間にある水分は冬の寒さで凍って膨張し、春の暖気で溶け去って崩壊作用を起こす。
また夏の厳しい日差しや長雨で酸化作用を促し、秋の台風や冬の霜などで
力学的・熱学的作用が働き、絶えず変化が生じているのである。

植物は、当然のことながら鉱物に比べて、ずっと大きな影響を受けている。
季節による太陽光線の温度と量の変化によって異なる物理作用を受けるのはもちろん、
植物自体が生理作用を持っているだけに、物理作用が生理作用に影響して、生理状態が季節と共に変化推移していく。

ところで人間はほかの動物達よりはるかに優れた【心理】をもっている。
その心理が有力である分だけ四季からの支配がほかの動物ほど明確ではないので、心理の力だけで動いているように見える。
人間が他のものに比べて優秀なのは、疑いもなくその「自意識」の旺盛さによるものであるが、
自意識の旺盛さだけですべてのことが片付くわけではない。

太陽の熱は、自意識の旺盛なものにも、無意識なものにも平等に降り注がれている。
四季の循環は、すべてのものの上に平等に行われているのである。
自意識が旺盛すぎると逆に観察の知恵が働かなくなって、自然の自分に及ぼす影響の本質を見落とすようにもなる。


ガーネット族(GARNET GROUP) 
和名 :柘榴石(ざくろいし)
比重     4.05
硬度     7-7.5
屈折率     1.76-1.82
トパーズ(TOPAZ)
和名 :黄玉(イエロートパーズ)
比重     3.53
硬度     8
屈折率     1.61-1.64(色による)
ハエトリグサ(蠅捕草、Dionaea muscipula)
別名、ハエトリソウ、ハエジゴク。
葉を素早く閉じて獲物を捕食する姿が特徴的で、ウツボカズラと並ぶ有名な食虫植物。
オジギソウ(お辞儀草、含羞草、学名:Mimosa pudica)
ネムノキ科の植物の一種。別名ネムリグサ(眠り草)、ミモザ。











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2012年7月3日火曜日

助長と剋殺








善いことは善い、悪いことは悪いと評価することは間違いではないが、
感情の赴くままに白を黒と言いくるめたり、悪意を持って攻撃することは許されない。

人にとって大切なことは、いつも柔かみと温かみを持っていることだ。
「助長の作用」はしても、「剋殺の作用」はしてはならない。
「助長」とは読んで字の如しで、助け長ずることであり、
「剋殺」(こくさつ)とは切り刻み殺すということである。

人間の周りにある、すべての美しいもの、役に立つものには「助長」の心で接し、
けして「剋殺」の行為をしてはならない。
花は美しく笑えるように、鳥は高らかに歌えるように、馬はたくましく育つように助長してやるのが人間の努めである。

然し乍ら、観点を変えると剋殺もある意味、造化の作用として未来を切り開く変革の力にもなり得る。
国会で言えば小沢一郎先生の行動は、世の中の変革のお役に立っているとも言えなくもない。
しかしこれは生臭い国会の人間関係のみに許されることであって、美しいもの、役立つものを破壊する行為を正当化するわけにはいけない。

ある人間がいて、あることを成し遂げたいと思っている。
その目的が悪いものでない限りは「助長」の心で後押しをしてやりたい。
そうすることをやりたくなければ傍観しても良いが、絶対に邪魔をするようなことがあってはならない。







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2012年7月2日月曜日

志(こころざし)は抱くのか、保つのか、決めるのか、それとも・・・








いわゆる志を立てるということは、
あるものに向かって心の方向を確定するということで、
言い換えれば心に何を持つかということだ。

だからこそ、心に持つものが最高最善のものでならないのは自然の道理である。

それゆえに、志を立てるときは、
その志が堅固であることを願う前に、まず志が高いものであることを願うべきである。
そして志が立った後で、それを堅固なものにしたいと考えるべきである。







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2012年6月29日金曜日

人性の4大原理
















基本を学ぶための指針となるのが「目標」である。
何のために学ぶのか  (何のために働くのか)
誰のために学ぶのか  (誰のために働くのか)

【的】として着眼すべきところは何処か
目的をはっきりと自意識の上に乗せて学ばなければ誤った方向に進む恐れがある。

その指針となる言葉が、次ぎの4つの言葉である。

「正」
「大」
「精」
「深」


正しい学び、視野広く大きく学ぶ、丁寧に学ぶ、専門知識を履修する。
正しい商売、大きな商い、ていねいな商い、専門的な商い、・・・・。


僅かに4つの言葉だが、この言葉はいろんな所に応用が可能。
また、4つの言葉から目を離さずにその道に励めば、その人は大きな過ち無しに進むことができると確信します。






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2012年6月28日木曜日

井戸は水が湧き出るまで掘り進め








事業の世界では、何事においても「深」の一字を忘れず、【標的】を慎重に選択し、絞り込むことが大切である。

「深」は「大」とその趣が異なってはいるが、ビジネスの目指すべき方向を示している。

「大」なることだけに努めて「深」を怠れば、浅薄なものになってしまう。
また、「精」なることだけに努めて「深」を忘れたら、渋滞・拘泥に陥る恐れがある。
そして「正」なることにこだわりすぎて「深」の手抜きをすれば、奥行きのない薄っぺらなものになりがちである。

人の天分にはそれぞれ厚薄があり、資質には強弱がある。
しかし、目標を定めたら、どこまでも深く深く掘り進める努力をしなければ、水脈まで到達することはできない。
もし天分が薄く、資質も弱くて力不足の場合は、最初から大きな井戸を掘ろうと考えてはいけない。
小さくても良いから深い井戸を掘ろうと考えたほうが良い。

ひとつの深い目標を設定することは非常に難しいことだが、学問の世界でも事業の世界でも、
何事においても「深」を忘れず目標設定することが成功への鍵だと言える。




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2012年6月27日水曜日

精と粗







「精」は、その対語である「粗」をよく考えると理解できる。
粗はぞんざいなこと。

米の精米の精も同じ。
厳選した米をよく磨いて、糠をきれいに取り除けば真珠のように美しく美味しくなる。

どのような道にも「精」と「粗」の二つの道がある。
もちろん「精」の道を選ばなければならないが、
時として「精」に見えない偉人や傑物がいるために、
その外見の豪傑ぶった部分に囚われ間違った道に進む者もいる。

「粗」とは、大雑把・荒いとも詠む。
よく似た一字の言葉だが全く意味が異なる。





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2012年6月26日火曜日

守備範囲を常に広げる努力















「大」は、人みな好むところである。
ところが世の中には、自らを小さく見立てて、それで良しとする善良謹直な市民も多い。
好きな趣味の中で穏やかに過ごすことを旨とし、ほどほどに仕事に務める者も少なくない。

悠々自適、平々凡々、悪くはない。悪くはないが、一廉(ひとかど)の大人として、
また社会の一員として受け入れられた以上、出来る限りの自分を演じる責任もある。

「人学べば、すなわち次第に大となり、学ばざれば、すなわち永久に小である」
けっして自らを律して小にしてはならない。
自ら真剣に自分を大たらしめようと努力すること。

人の道での最大のタブーは、卑屈(矮小)になることだと考えている。
自尊自大は良くないことだが、大ならんと欲して、自ら大にすることに努めるのは極めて重要なことである。
資本はなくとも、自分の力が足らなくても、大にならんとして欲して常に視野を広めるべきである。

「大」には【広】の意味も含まれている。

視野を広め、努力する若者たちに幸あれ。






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2012年6月25日月曜日

飯も満足に炊けずに「珍味」を追うな







「正」とは【中】である。
横道にそれたり偏ったりしないことである。

学問をするとき、他人に勝ちたいと願うことは悪いことではい。
しかし、度を過ごすと中正を失う。
人の知らないことを知り、人の思わないことに思い至り、
人のやらないことをやろうとして、間違った近道を取ろうとするものである。

食べ物にたとえてみれば、日常生活のご飯を
硬からず軟らかからず炊けるようになることが先決だ。
それができないのに、いきなり珍味佳肴(ちんみかこう)の料理法ばかりを追い求めるようなものである。




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2012年6月22日金曜日

幸福三説より







【有福】は祖先のおかげであって評価するべきところはない。
【惜福】の工夫ある人は少し尊敬しても良い。
【分福】の心ある人はさらに尊敬してもよろしい。
【植福】できる人こそ最も敬愛しなければならない。

有福、の人は、あるいは福を失う事もあろう。
惜福、の人は福を保持できるかもしれない。
分福、の人はさらに福を招くことができるであろう。
そしてー【植福】の人こそ福を創造することができるのである。


幸田露伴「努力論」









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2012年6月21日木曜日

植福








植福とは何か。
結論から述べるとすると。
それは自分の、力・情・智をもって人の世に幸福をもたらす、物質、清趣・知識を提供すること。

「植福」というひとつの行為は、二重の意味を持ち二重の結果を生む。
つまり自己の福を植えることであると同時に、社会の福も植えることにもなり、
その結果、自己の福を収穫すると共に社会の福をも収穫できる。

杉や松の大木は天を摩するが、その種は二本の指で摘めるぐらいの微小なモノ。
渇いた人に一杯の水を与えるぐらいの事は、どんな微力な人にだって出来る。
それを、こんなちっぽけな行為になんの価値があろうかといって実行しない人がいる。
これは明らかに考え違いで、
一粒の種子が巨木に育つことが理解できれば、
些細なことが必ずしも些細なことで終わらないことが理解できるはずである。









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2012年6月20日水曜日

分福








ここに一瓶の銘酒がある。
自分一人で飲めば酔えるが、他人と一緒に飲めばどちらも酔いに達しない。
自分一人で飲み尽くして他人に分けないのは福を独占することだ。
自分の酒量を超えて酒を飲み尽くすのは福を惜しまない行為である。

他人と一緒に飲めば酔うどころか、酒の香りを楽しむ程度の量でも、
みんなと飲もうというのが「福を分かつ」という行為です。

モノが足りなくても心が足り、
欲が満たなくても情が満ちることで充分である。







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2012年6月19日火曜日

惜福





問題に直面したら、「正当か不当か」をまず論ずるべきであって、
「幸か不幸か」などは論じなくてよい。

しかし、「正当か不当か」を極端に追求すると、
人間は狷介・偏狭になりがちだし、

禍福吉凶・幸不幸・運不運ばかりを多く語れば、
人間は卑小になってしまう。

もし福に巡り会ったら感謝する余裕の心を持ちたい。

「幸運は七度人を訪ねる」と言う諺がある。
つまりどんな人にも幸せのチャンスは何度かやってくるもの。
それをこれ幸いとばかりに、
幸運の調子に乗って目いっぱい取り込んでしまい、幸運の木を枯れさせるようなことをしてはならない。

二十輪の花の蕾を七・八輪も十輪も摘み去り、
また、百個の実が実らないうちに、その実の数十個を摘み取ってやるのが「惜福」である。
こうすることで花も大きく実も豊かに、
そして木も疲れないから来年もまた花を咲かせ実をつけることができる。

ついている時にこそ、控えめに自ら抑制することが惜福の心であり、
福を取り尽くさず、使い果たさないことこそが惜福の真髄である。








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2012年6月18日月曜日

定説







別れたかったら女性に相談する。
別れたくなかったら男性に相談するのが良い。

同じように、お金のない人に人生の相談をしてはいけない。
さらに、大学の先生というのは人にもよるが、人生の相談相手としては不適格。

一番良いのは裕福に暮らしている人。
お金を持っている人は、決して自分に格好のいい話だけをしない。
何よりも「ツキ」を持っている。

あくまでも定説だよ・・・・・・







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2012年6月15日金曜日

方法序説








森の中で迷った旅人は、
あちらこちらグルグルとさまよい歩いてはいけない。
もちろん一ヶ所に立ち止まってもダメ。

目指す方向を一旦決めたら、
いつもそちらに向かって進め。

そうすることで、期待した出口ではないかもしれないが、
必ず森の外に出られる。

方法序説 Ren´e Descartes





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2012年6月14日木曜日

適量







目の前にいつも食べてる量のご飯とお味噌汁、
それと絶対に食べきれないほどの豪勢なお料理があります。
あなたならどっちを食べる。

「それは豪勢な料理だよ!」

若い時はほとんどみんなそうだよね
でもね、歳を重ねると分かってくるわ。

いくら豪勢なお料理でも
食べ残してしまうと心の片隅にシコリが出来ちゃう・・・

でも、いつもの食べきれる量のご飯とお味噌汁はそれが一番体に優しくって、
おいしくって、そして
幸せだなあって
分かってくるものよ。

「ひよっこ料理人」 魚戸おさむ











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