2011年12月26日月曜日

されど我が人生

Good friends , good books and a sleepy conscience: this is the ideal life.
Mark Twain




良き友と、良き本に眠りかけた良心、これぞ理想の人生。
マーク・トウェイン : 1835-1910


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2011年12月23日金曜日

深く考える

自分の頭で深く深く考えると、
  自己を中心に考えてしまう。

心で深く深く考えると、
  他人を中心に考える。

常に心で考えれる人でなければならない。



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2011年12月22日木曜日

仮説

「別に強い根拠はないが、とりあえずそう決める。
これを科学では仮説という。
いろいろ調べていくうちに、おかしいと思ったら、
仮説を変更すればいいのである」
養老孟司

大好きな養老先生のお言葉を噛み締め、・・・・とは言わないが、
今までに数多くの事業に関わり、沢山の仮説を打ち立ててきた。
立派な定説など見つけたことはないが、一つだけわかったことがある。
仮説から定説へのプロセスにはロジックではなく変態性が求められる。
と。




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2011年12月21日水曜日

危機

危機的状況とは、
必要な資材がなく、
必要な人員がなく、
必要な時間がない状態。である。


内田樹 氏は、危機の概念を以下のように述べている。(灘高 2011年文化祭講演から)

「次世代に望むこと」

危機には「リスク」と「デインジャー」の二種類がある。
「リスク」というのはコントロールしたり、ヘッジしたり、マネージしたりできる危険のことである。
「デインジャー」というのは、そういう手立てが使えない危険のことである。
喩えて言えば、W杯のファイナルを戦っているときに、残り時間1分で、2点のビハインドというのは「リスク」である。
このリスクは監督の采配や、ファンタジックなパスによって回避できる可能性がある。
試合の最中に、ゴジラが襲ってきてスタジアムを踏みつぶすというのは「デインジャー」である。
対処法は「サッカー必勝法」のどこにも書かれていない。
だが、そういう場合でも、四囲の状況を見回して「ここは危ない、あっちへ逃げた方が安全だ」というような判断をできる人間がいる。
こういう人はパニックに陥って腰を抜かす人間よりは生き延びる確率が高い。
でも、いちばん生き延びる確率が高いのは、「今日はなんだかスタジアムに行くと『厭なこと』が起こりそうな気がするから行かない」と言って、予定をキャンセルして、家でふとんをかぶっている人間である。
WTCテロの日も、「なんだか『厭なこと』が起こりそうな気分がした」のでビルを離れた人が何人もいた。
彼らがなぜ危機を回避できたのかをエビデンス・ベースで示すことは誰にもできない。」
「ただの偶然だ。理屈をつけるな」と眼を三角にして怒る人がいるけれど、そういう人には「そうですよね」と言ってお引き取り願うしかない。
けれども、「どうして私だけが生き残ったのか、理由がわからない」ということは、よくある。その場合に「単なる偶然である」と言って済ませることのできる人はきわめて少ない。
ほとんどの人は「自分だけが生き残った理由」について考える。
少なくとも、ホロコーストを生き延びたエマニュエル・レヴィナスやエリ・ヴィーゼルやウラジミール・ジャンケレヴィッチはそうした。
もちろん、「自分だけが生き残った理由」はわからない。
「おそらくはゲシュタポの気まぐれによって」とジャンケレヴィッチは書いている。レヴィナスはそれをそのまま引用しているので、たぶん「同じ気分」だったのだろう。
けれども、人は他人の「気まぐれ」で手に入れた人生をそのままに生きることはできない。
生き延びた理由は「気まぐれ」でも、そのまま長生して、いざ死ぬときにふりかえって「私が生き残ったことにはやはりそれなりの意味があった」と言い切れなければ、自分が生き残ったときに死んだ人間に申し訳が立たない。
だから、自分自身の人生に加えて、「死んだ人の分まで生きる」という責務を自らに課すことになる。
「あの人があのとき死ななければやっていたかもしれないこと」は「生き残った私」の宿題になる。
その宿題を完了したときにはじめて、「ゲシュタポの気まぐれ」という「人の生き死にに、理由なんかない」という非-人間的無底(anarchie)を人間的意味と人間的秩序が少しだけ押し戻すことができる。
だから、もし大災厄を生き延びた場合には、どんなことがあっても、「生き残ったことは単なる偶然であり、生き延びたことに『理由』を求めるのは愚かなことである」というような発言をしてはならない。
それは死者を二重に穢すことになるからである。
私たちがもし幸運にも破局的事態を生き延びることがあったとしたら、私たちはそのつど「なぜ私は生き残ったのか?」と自問しなければならない。
「他ならぬ私が生き残ったことには理由がなければ済まされない」という断定は誇大妄想でもオカルトでもなく、人間的意味を「これから」構築するための必須条件なのである。
だから、WTCをテロの直前に離れた人が「なんだか『厭なこと』が起こりそうな気がして」というふうに事後的に自分の「異能」を発見するようになるのは当然のことなのである。
そうすべきなのである。
私が生き残ったことには意味があると思わなければ、死んだ人間が浮かばれないからである。
誰かがそう思わなければ、被害者たちは殺人者の恣意に全面的に屈服したことになるからである。
そして、その断定を基礎づけるためには、自らの責任で、長い時間をかけて、ほんとうに「デインジャーを回避する力が人間には潜在的に備わっている」ということを身を以て証明しなければならない。
だが、私たちの社会は戦後66年間あまりに安全で豊かであったせいで、危険をすべて「リスク」としてしか考察しない習慣が定着してしまった。
「デインジャー」に対処できる能力はどうすれば開発できるのかについての「まじめな議論」を私はかつて聴いたことがない。
今回の原発事故は「デインジャー」である。
「リスク対応」は十分であったと政府と東電と原子力工学者たちは言う。
たしかに、その通りなのかも知れない。
だが、「デインジャー対応」という発想は彼らにはなかった。
「デインジャー対応」というのは事故前の福島原発を見て、「なんだか厭な感じがする」能力のことである。
その「厭な感じ」が消えるように設計変更を行ったり、運転の手順を換えたり、場合によっては操業を停止したりする決断を下せることである。
それができる人間がそこにいれば、そもそも事故は起こっていない。
事故が起こっていないから、そのような能力を発揮した人が巨大な災厄を未然に防いだという「事実」は誰にも知られない。
それは「事実」でさえないのだから、知られなくて当然である。
けれども、そこから、そのような能力は「存在しない」という結論を導くことは論理的にはできない。
私たち人類は久しく「後一歩のところで破局を迎えたはずの事態」を繰り返し回避したことによって今日まで生き延びてきた。
むろん、「存在しなかった災厄」について、たしかなことは誰にも言えない。
けれども、「存在しなかった災厄は、それを無意識のうちに感知して、それを回避する策を講じた人がいたせいで存在しなかった」という仮定はあきらかに人間的能力の向上に資する。
能の名曲に『安宅』がある。歌舞伎で『勧進帳』と呼ばれる物語である。
これはよく考えると不思議な物語である。
富樫の立てた新関の前で困惑した弁慶は「ただ打ち破って御通りあれかしと存じ候」といきりたつ同行の山伏たちを抑えて、「なにごとも無為(ぶい)の儀が然るべからうずると存じ候」と呟く。
そして、弁慶の「不思議の働き」によって、安宅の関では「起こるはずのこと」(富樫一党と義経一行の戦闘)は起らなかったのだが、それは「白紙の巻物」を「勧進帳と名づけつつ」朗朗と読み上げる弁慶の「ないはずのものが、ある」というアクロバシーと構造的には対をなしている。
『安宅』が弁慶の例外的武勲として千年にわたって語り伝えられているのは、「ないはずのものをあらしめることによって、あるはずのことをなからしめた」という精密な構造のうちに古人が軍功というものの至高のかたちを見たからである。
『安宅』は「存在しないものをあたかも存在するかのように擬制することによって、存在したかもしれない災厄の出来を抑止する」というメカニズムを私たちに示してくれる。
ここでいう「存在しないもの」が「災厄の到来を事前に感知する能力」である。
弁慶の武勲は何よりも白紙を朗朗と読み上げた点に存する。
これはひとつの異能である。
勧進帳を読み上げているときの弁慶は、東大寺建立のため重源上人に北陸道に派遣された山伏に「なりきっている」(強力に化けた義経を打擲するときも)。
この弁慶の憑依力・物語構成力によって、安宅の関には、「そこに存在しない世界」が幻想的に出来する。
この幻想的に構築された物語が、現実の災厄の出来を抑止する。
私が「デインジャー対応能力」と呼ぶのは、ひとつの「物語」である。
そう言いたければ「幻想」と言い切っていただいても構わない。
けれども、幻想を侮ってはいけない。
「存在するはずだったのに、しなかった現実」と均衡するのは、理論的には「存在しないはずなのに、存在してしまった幻想」だけだからである。
それはシーソーのような構造になっている。
それが今日の核戦略における「抑止力」と構造的に相同的であることはまことに皮肉と言う他はないけれど。


内田樹「呪いの時代」







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2011年12月20日火曜日

喜び

喜べば、
喜びが、
喜びながら、
喜びごとを集めて、
喜びにくる。



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2011年12月19日月曜日

無能の知と無知の能

無能の知は、是れ瞑想にして、
無能の脳は、是れ妄動なり。
学者宜しく仮景を認めて、
以って真景と做すことなかるべし。


実行なくして、ただ知るだけでは妄想である。
知恵なくして行うのは妄動である。
学問をする者はよく心眼を開いて、仮の有様を見て、
これを本当のものだと思ってはダメですよ。

言志四録 (四)



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2011年12月16日金曜日

品は漢字の「口」を三つ重ねて「品」と表す。

この三つの口は何を示唆しているのか?
一つ目の口は「呼吸」
二つ目の口は「言葉」
三つ目の口は「食事」

仏様の姿をよく見ると微かに口を開いている。
息を吐いて吸う、その刹那に人の一生を見出す阿吽(ア・ウン)がある。
神社でよく見かける狛犬さんでご存知の方も多いと思う。
息と言う字は、自の心と書く。

呼吸法で大切なことは「吐いてから吸う」こと。
ゆっくりと口から吐き出し(阿)、口を閉じて鼻から吸う(吽)。
そして言葉を慎み、腹八分目の食事を心がける。

この三つがバランス良くありて「品」を象る。


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2011年12月15日木曜日

パターンの発見

地面に座り込んでじっとアリの行列を見つめている子供
路傍の雑草を見つめている子供
砂浜で寄せては引く波を数えている子供は、
そこに繰り返される「パターン」の気配を感じて、
全身の感度を最大化しています。

自分の「仮説」が正しければ、次にあの「パターン」が再帰するはずだ・・・
そう予測しながら自然物を見つめているときの子供はすでに小さな科学者です。

そして、すべての事象の背後には世界を整序する美しい階調があるはずだという同じ確信のことを僕たちは「信仰」とも呼びます。
つまり、ランダムに見える事象の背後に一定のパターンを見出そうとする知的努力によって人はまっすぐに科学と宗教に向かう。



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2011年12月14日水曜日

品位、品格、気品で用いられる品とは、
漢字の「口」を3つ重ねて「品」と表す。

品は印相に使われる言葉として知られている。
上品・中品・下品
これらは仏様の指の組み方の違いから出てきた。

親指は 大日如来  だいにちにょらい
人差指は阿弥陀如来 あみだにょらい
中指は 釈迦如来  しゃかにょらい
薬指は 薬師如来  やくしにょらい
小指は 弥勒菩薩  みろくぼさつ

上品 じょうぼん 親指と人さし指
中品 ちゅうぼん 親指と中指
下品 げぼん   親指と薬指

この文字は反省の厳しさにも用いられる。
熱い汗が噴き出す反省が下品。
涙で濡れるほどの反省が中品。
全身から血がほとばしるような反省が上品。

反省の厳しさが人物をつくり、人格と品性を磨いていく。



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2011年12月13日火曜日

思われる

「第一印象で決まってしまう」類の本が沢山出版されるが、
それ以前、相手に出会う前に想像で決まってしまうことも多い。

故事に「李下に冠を正さず、瓜田に履を納れず」と言う言葉があります。
「すももの木の下では、冠の紐がほどけても直してはいけない(すもも泥棒だと思われるから)
瓜の田で靴が脱げても取りに行かない(ウリ泥棒だと思われるから)」

何もやましいことをしていなくても、他人から見て「泥棒」に見えるような所業をしたら、
それは「泥棒をした」との同じ意味を持つ、ということです。
そんなの理不尽だと言ってもはじまらない。

社長さんは、社員を働かせて自分は日頃遊び歩いて、毎晩飲みに出かける。
世の中の儲かっている会社は、だいたい悪いことをしている。などなどと
今どき、そんなことを思っている人はいないと思いますが、
政治や真面目な話をするときに、その周辺で働いている人に対して、尊敬の念どころか罵倒する人が多いのは何故なんだろう?

僕の知人の政治家や官僚は、とてつもなく働いている。
知り合いの成功した社長は人の何倍も働いてきた。
理不尽だと思っても、真面目に務めること。

冠がずれてさぞや気分が悪いだろうが、紐を直すのはすももの木から離れた所まで我慢をするしかない。
瓜の田んぼに靴を置いてきたが、裸足で歩いていくしかない。

地位や肩書きとは、そういう制約が付いてくると考えるべきである。




李下に冠を正さず、瓜田に履を納れず
りかにかんむりをたださず かでんにくつをいれず

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2011年12月12日月曜日

意志

「意思は硬いほうが良い」と思われているようだが
私の考えでは逆である。

硬いがために、たったひとつの箇所を突かれただけで
パチンと割れてしまうダイヤモンド原石のように、
意思の強い人ほど逆境に出会うと、
自分のプライドが邪魔して、ドロドロに朽ちかける。

ココロと体は柔らかくて良い。




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2011年12月9日金曜日

パワーゲーム

日本の古典ビジネスを研究すると、
「贔屓」を代表とする義理や人情、
作り手と買い手の相関関係が複雑に混じり合い
「商売(あきない)」という土壌を作り出してきた。

だが、そもそもビジネスは単純なパワーゲームである。
これは老舗に見出すことができる。





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2011年12月8日木曜日

恩を知る

人を檻に入れると「囚」になる。
しかし、囚われていても大きくな気持ちでいたら「因」。
そして大きくなっておれるのは誰の御陰かと気がつく心
これが「恩」。

人は、いろんなモノに守られて「大」の字になれる。

しかし大抵の人は自分で大きくなったように考える。
そういう大の字にちょっと耳を付けると「犬」になる。
恩を知らぬ人は犬畜生にも劣ると言われる。

人は人として生きていくために理性が必要である。
この理性は恩によって熟成される。
太陽・天地のお陰。
雨・風・空気のお陰。
両親・先生・先輩のお陰。
色んな御陰によって感謝の心が熟成され理性となる。

恩を知るとは、人としての心を育てることである。




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2011年12月7日水曜日

風の大地

空を眺めてご覧。アナタの空だ。
山を眺めてご覧。アナタの山だ。
海を眺めてご覧。アナタの海だ。
隣に立つ人を眺めてご覧。
その人はアナタの友だ。
それが人の世だ。
そこがアナタの住む世界だ。



坂田伸宏




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2011年12月6日火曜日

良い流れをつかむコツ

勝負の世界に限らず、人生には「いい流れ」や「わるい流れ」がある。
結果はあとから分かるものだが、流れというものは何となく今分かる。

仮に、いま悪い流れに乗ってしまっている事を自覚して、流れに身を任せているウダウダしている自分があると、
正しい流れが来たときに、それが判っていても正しい流れに乗れなくなってしまう時が来る。
悪いが流れが勢いをつけて、激しく流されてしまっている自分から抜け出すのは困難になってしまうのだ。

だから、ビジネスはもちろん私生活で決断を求められる場面に遭遇しても、自分との約束を守り、正しい姿勢を貫く勇気が必要になる。

自分との約束を守りさえすれば、何事にも恐れず自分の流れに乗ることができる。



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2011年12月5日月曜日

タンタンの冒険

「もし守るべきものがあれば戦え!
 壁にぶつかったら、ぶっ壊して進め!」


ハドック船長



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2011年12月2日金曜日

立て直す

組織を立て直すときに、一番に気をつけることが

  人間関係を「縦に治す」こと。

社長は社長の仕事を、部長は部長の仕事をしてもらう。部下は部下の仕事をする。
時間は平等でも、役割は平等でないことを認識してもらう。

コミュニケーションは横軸
上手くいっていない組織は、横の人現関係と縦の仕事関係が混在している場合が多い。

縦横を明確にすれば、直ぐにでも組織は変わる。

それと人間は単純だから、未来を描くときに現状からまっすぐな線を引く。
だけど過去を振り返ると波のようなものが必ずある。
ある種のリズム感を持って今に至る筋道が必ず見える。

縦横をハッキリさせたら、過去からの延長線を参考にマトリックス図を作成するだけ。
これだけ。




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2011年12月1日木曜日

愚か

かしこい人は燃えることができない。
燃えるためには愚かさがいる。
愚かさには力がある。





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