2012年6月29日金曜日

人性の4大原理
















基本を学ぶための指針となるのが「目標」である。
何のために学ぶのか  (何のために働くのか)
誰のために学ぶのか  (誰のために働くのか)

【的】として着眼すべきところは何処か
目的をはっきりと自意識の上に乗せて学ばなければ誤った方向に進む恐れがある。

その指針となる言葉が、次ぎの4つの言葉である。

「正」
「大」
「精」
「深」


正しい学び、視野広く大きく学ぶ、丁寧に学ぶ、専門知識を履修する。
正しい商売、大きな商い、ていねいな商い、専門的な商い、・・・・。


僅かに4つの言葉だが、この言葉はいろんな所に応用が可能。
また、4つの言葉から目を離さずにその道に励めば、その人は大きな過ち無しに進むことができると確信します。






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2012年6月28日木曜日

井戸は水が湧き出るまで掘り進め








事業の世界では、何事においても「深」の一字を忘れず、【標的】を慎重に選択し、絞り込むことが大切である。

「深」は「大」とその趣が異なってはいるが、ビジネスの目指すべき方向を示している。

「大」なることだけに努めて「深」を怠れば、浅薄なものになってしまう。
また、「精」なることだけに努めて「深」を忘れたら、渋滞・拘泥に陥る恐れがある。
そして「正」なることにこだわりすぎて「深」の手抜きをすれば、奥行きのない薄っぺらなものになりがちである。

人の天分にはそれぞれ厚薄があり、資質には強弱がある。
しかし、目標を定めたら、どこまでも深く深く掘り進める努力をしなければ、水脈まで到達することはできない。
もし天分が薄く、資質も弱くて力不足の場合は、最初から大きな井戸を掘ろうと考えてはいけない。
小さくても良いから深い井戸を掘ろうと考えたほうが良い。

ひとつの深い目標を設定することは非常に難しいことだが、学問の世界でも事業の世界でも、
何事においても「深」を忘れず目標設定することが成功への鍵だと言える。




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2012年6月27日水曜日

精と粗







「精」は、その対語である「粗」をよく考えると理解できる。
粗はぞんざいなこと。

米の精米の精も同じ。
厳選した米をよく磨いて、糠をきれいに取り除けば真珠のように美しく美味しくなる。

どのような道にも「精」と「粗」の二つの道がある。
もちろん「精」の道を選ばなければならないが、
時として「精」に見えない偉人や傑物がいるために、
その外見の豪傑ぶった部分に囚われ間違った道に進む者もいる。

「粗」とは、大雑把・荒いとも詠む。
よく似た一字の言葉だが全く意味が異なる。





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2012年6月26日火曜日

守備範囲を常に広げる努力















「大」は、人みな好むところである。
ところが世の中には、自らを小さく見立てて、それで良しとする善良謹直な市民も多い。
好きな趣味の中で穏やかに過ごすことを旨とし、ほどほどに仕事に務める者も少なくない。

悠々自適、平々凡々、悪くはない。悪くはないが、一廉(ひとかど)の大人として、
また社会の一員として受け入れられた以上、出来る限りの自分を演じる責任もある。

「人学べば、すなわち次第に大となり、学ばざれば、すなわち永久に小である」
けっして自らを律して小にしてはならない。
自ら真剣に自分を大たらしめようと努力すること。

人の道での最大のタブーは、卑屈(矮小)になることだと考えている。
自尊自大は良くないことだが、大ならんと欲して、自ら大にすることに努めるのは極めて重要なことである。
資本はなくとも、自分の力が足らなくても、大にならんとして欲して常に視野を広めるべきである。

「大」には【広】の意味も含まれている。

視野を広め、努力する若者たちに幸あれ。






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2012年6月25日月曜日

飯も満足に炊けずに「珍味」を追うな







「正」とは【中】である。
横道にそれたり偏ったりしないことである。

学問をするとき、他人に勝ちたいと願うことは悪いことではい。
しかし、度を過ごすと中正を失う。
人の知らないことを知り、人の思わないことに思い至り、
人のやらないことをやろうとして、間違った近道を取ろうとするものである。

食べ物にたとえてみれば、日常生活のご飯を
硬からず軟らかからず炊けるようになることが先決だ。
それができないのに、いきなり珍味佳肴(ちんみかこう)の料理法ばかりを追い求めるようなものである。




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2012年6月22日金曜日

幸福三説より







【有福】は祖先のおかげであって評価するべきところはない。
【惜福】の工夫ある人は少し尊敬しても良い。
【分福】の心ある人はさらに尊敬してもよろしい。
【植福】できる人こそ最も敬愛しなければならない。

有福、の人は、あるいは福を失う事もあろう。
惜福、の人は福を保持できるかもしれない。
分福、の人はさらに福を招くことができるであろう。
そしてー【植福】の人こそ福を創造することができるのである。


幸田露伴「努力論」









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2012年6月21日木曜日

植福








植福とは何か。
結論から述べるとすると。
それは自分の、力・情・智をもって人の世に幸福をもたらす、物質、清趣・知識を提供すること。

「植福」というひとつの行為は、二重の意味を持ち二重の結果を生む。
つまり自己の福を植えることであると同時に、社会の福も植えることにもなり、
その結果、自己の福を収穫すると共に社会の福をも収穫できる。

杉や松の大木は天を摩するが、その種は二本の指で摘めるぐらいの微小なモノ。
渇いた人に一杯の水を与えるぐらいの事は、どんな微力な人にだって出来る。
それを、こんなちっぽけな行為になんの価値があろうかといって実行しない人がいる。
これは明らかに考え違いで、
一粒の種子が巨木に育つことが理解できれば、
些細なことが必ずしも些細なことで終わらないことが理解できるはずである。









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