2008年4月11日金曜日

自分を知る

「たいせつなのは、じぶんのしたいことを、じぶんで知っているってことだよ」 スナフキン(ムーミン谷の夏祭り)より


たいせつなのは、じぶんのしたいことを知っていることだ。どこへ行って、なにをしたいのか、だれに会いたいのか。
倒れていたクルミの木の皮を剥いで、丸いボールを編んでくれたフランクリンが、そんなことを言ってたっけ。
フランクリンは、そのボールを膝で蹴って、「なんでも、ナイフ一丁で作ることができるんだ」と片目をつむってみせた。

背負いカゴのなかに、その小さなサッカーボールは入れてあって、歩くたびにガサゴソ音をたてる。
そういえば、ジャングルにいた裸の子供たちが、こんな木の 皮で編んだボールで遊んでいたのを見たことがある。とりあえずナイフ一丁あれば、子供のオモチャから住居まで、なんだって作ることができる。


石の塀からこぼれるように咲いている紫色の花の名は、ジャガランダー。
インディオのことばで「きってはいけない木」という意味だ。暑さでめまいがしても、 ジャガランダーの花が目に入ると、どうしてか元気になってくるんだ。「きってはいけない木」というよりは「旅人をはげます木」だ。この石塀にそって歩いて いけば、きっと海にたどりつくはずだ。

樹木はおまえのなかに生き、おまえはその陰に生きる


それにしても、歩くことができるって、それだけで魔法みたいだ。おばあちゃんは杖をついていたけれど、じぶんの足で歩けなくなるのは、どんなにかつらいこ とだろう。坂道の途中で、おばあちゃんが杖にもたれて、長いため息をついていたのを思い出す。ラツィオ戦で倒れてしまったロナウドみたいに、顔をしかめて いたっけ。

飼っていた犬のことが忘れられなくて、その犬を描いた絵を持ち歩いていた女の子がいたけど、その犬も足が悪かったらしい。きっとそのことで、いっそう可愛 がっていたんじゃないだろうか。世界にはじぶんの足で歩けるものと、そうでないものがいる。そのことを、ときどき思い出さなけりゃいけないんだ。


フランクリンの作ってくれたモカシンのおかげで、旅をしていて、一度だって足が痛くなったことはない。コッペパンみたいに不恰好だけれど、それは足のかた ちをなぞっているからだ。フランクリンのお母さんが石膏で足型をとってくれながら、これがあなたの足、あなたの足を愛しなさい、と諭してくれたものだ。

ほんとうにじぶんが必要としているものに出会うまでに、なんてたくさんの遠回りをしたことやら。じぶんの足とは関係のない、お洒落な靴を、いったい何足はいてきたことか。探していたのは、ほかのどれでもない、じぶんの足のかたちの不恰好な靴だったなんて。


海へ出たら、砂浜に寝ころんで、じっとしていよう。世界の果ての果て、そこにはもっと広い世界があるだろう。それから、背負いカゴからクルミの木の皮で作ったボールをとりだして、それを思いきり蹴ってやろう。
今夜は、降る星の下で眠ることに決めているんだ。

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